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#8 大橋 杏佳の花が咲くまでの道(北信越第2代表 新潟大学 3年)
①カコ
小学3年生のとき、兄がサッカーを始めたことをきっかけに小中高大とずっとサッカーを続けてきました。
正直、最初のころは好きでも嫌いでもなく、ただ言われるがまま習い事の一つとしてこなしていましたが、いつからか夢中になって大学生になっても続けていて、よっぽどサッカーが好きなんだと我ながら感心しています。
大学生になった今は落ち着いているけれど、小中高は毎日のように練習し、週末は何かしらの大会や練習試合があって、サッカーに明け暮れる日々でした。
特に高校生の頃は朝から晩まで忙しい日々でしたが、少しでもボールに触りたくてグラウンドに駆けて行ったのをよく覚えています。高校から始めた初心者も多いチームでしたが、私が一番技術的にも精神的にも成長した時期でした。
勉強そっちのけでサッカーに傾倒しましたが、最後の高総体県大会の決勝で負けてしまい、泣くまいと必死に上を向いて涙をこらえたのは今ではいい思い出です。
負けず嫌いや協調性を身に着けたのも、
早起きができるようになったのも、
それもこれも全部サッカーのおかげですね。
②スイッチ
振り返れば、これまでのサッカー人生は山もあれば谷もあって、たくさん悩んで泣いて怒って笑ってきました。
その中でも一番印象深いこと、それはサッカーを一度やめたことです。
中学生になってからチームが一緒だった男子と距離があるような気がして、疎外感を感じながらサッカーもどんどん嫌いになり、2年生の夏まで一切サッカーと関わることをやめました。
そうしてサッカーのことを忘れかけていたのに、仲間に部活に戻らないかと声をかけられ、多くの助力があって部活に復帰しました。
あの時誘ってくれた仲間や先生、監督コーチにお礼を言えなかったけど、当時は受け入れてくれたことが本当に嬉しかったし、練習が多すぎると言いつつみんなとプレーしていたのはとても楽しかった。
そして、私は支えられながらサッカーをしていたのだと理解できた。
練習の送迎や試合の応援、サッカー用具、指導はすべて当たり前のものではなく、保護者や指導者による尽力があったからのびのびとプレーができていたのだと、当たり前のこともわかっていなかった。
サッカーをやめたいと泣いていた自分を否定せず、むしろ向き合うきっかけをくれてありがとうと過去の自分に言いたいです。
③ミライ
一つのチームが終わるたびにいつも、切ないような悲しいような、言い知れぬ寂しさがありました。何でもない些細なことが、無くなったあとにどうしようもなく懐かしくて恋しくて、もう一度あの頃に戻りたいとふと寂しくなることが何度もありました。
この人達といつまで一緒にいられるか分かっていたなら、あの何でもない時間はかけがえのない時間として、無駄にすることはきっと無かったはずです。
終わり方が選べないのなら、
もっと愚直にサッカーを、
仲間を好きでいればよかった
と大学生になって今更しみじみと感じています。
もう昔みたいに縦横無尽に駆け回るプレーはできないと思いますが、
私はきっと今が一番サッカーが上手にできる
と信じています。
私だけではなく、最高の仲間がいます。
今までサッカーを続けてきたご褒美だと思って、このチームのみんなで戦えて楽しかったと言えるようなサッカーをしたい。
そして、またいつかこのメンバーとサッカーをしたい。社会人になっても、私は仲間を忘れないし、きっとふとあの時を思い出すでしょう。
私はこれからもサッカーを好きであり続けます。