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#21 中村 友香の花が咲くまでの道(中国第1代表 徳山大学 4年)

①カコ

私は熊本県出身で、小学校から高校までずっと地元の熊本県でサッカーをしていました。

その中で1番濃い時間を過ごしたのは、高校時代です。
高校は熊本県の秀岳館高校に通っていました。
チームの目標は全国大会に行くこと。
1・2年生の時はあと一歩の所で負けてしまい、全国大会に行くことができませんでした。

3年生になるとキャプテンを務め、チームの目標達成のために仲間たちと切磋琢磨してきました。
しかし、その年の夏に前十字靭帯断裂をしてしまいます。
ですが、まだ大会が残っていたので手術はせずに大会に挑みました。

サッカーが出来ない時期は、キャプテンとして練習や試合でチームを引っ張ることが出来ずとても悔しかったです。
復帰してからも思い通りのプレーができず悩んだ時期もありましたが、
チームのみんなで支え合い寄り添いあって、高校最後の選手権で全国大会初出場を決めることが出来ました。

それまでに保護者や学校関係者、地域の方々など多くの方に応援をしていただきました。
沢山のサポートがあったから「全国大会に行く」という目標を達成できたと思います。

この高校時代での経験は、私のサッカー人生において大きな財産となりました。

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②スイッチ

私のターニングポイントは大学生活です。
高校卒業後は中九州短期大学で2年間サッカーをし、卒業後に徳山大学に編入しました。

編入を決めた理由は、全国大会という舞台で優勝をするため、そして自分自身の成長のためです。
今までのサッカー人生では、全国大会出場の経験はあってもそこで勝つことができず、悔しい思いをしてきました。
その思いを果たすため、短大の卒業後は徳山大学に編入をしてサッカーをしたいと家族に伝えると、
快く了承をしてくれました。

3学年からの編入、さらに初めての一人暮らしなので編入前はとても不安でしたが、
チームメイトが気にかけてくれたり、一緒にサッカーをしたりする中ですぐに不安も無くなりました。
また、同学年の仲間はすごく特徴的な人が多く、今では大学生活もサッカーの時も楽しく過ごせています。

私は本当に運がいいと思います。なぜなら、ここで本気でぶつかり合える仲間と出会えたからです。
そして、今までとは違う環境でサッカーができたおかげで多くの面で成長することが出来ました。

家族の後押しがなければこのような経験をすることは出来なかったので、
編入を快諾し、離れた場所からいつも応援してくれる家族には本当に感謝しています。

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③ミライ

私は大学卒業後もサッカーを続けます。
これまでサッカーを続けてきた中で、多くの方々に応援していただき、
それが私にとって大きな力になりました。
そこで感じたのが、観ている人にも楽しんでもらえるようなサッカーをしたいということです。

これから先も自分自身はもちろん、観ている人も楽しめるサッカーをするために、
サッカーにおいても人としてもさらに成長をして、
チャレンジすることを恐れず前向きにプレーしていこうと思います。
そして応援してくださる方々にプレーや結果で恩返しがしたいです。

また、短大で保育士の資格を取得する際の実習では、たくさんの子供たちと関わりました。
そこで私は、子供たちにもっとサッカーの楽しさを知って欲しいとも思いました。

選手を引退してからも、子どもたちにサッカーを教える指導者という立場でサッカーに携わり続けていきたいです。
そして指導をした子供たちが、私のようにサッカーを楽しいと思ってくれるようになればいいなと思います。
これまでサッカーを通して学んできたことを、今度は私が子供たちに伝えていきたいです。


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