寄生虫とのたたかい
デートのとき、夫が連れて行ったのが目黒寄生虫舘です。「実物がこんなにみられるのか!」と感動しました。一般の方は違うので、閲覧注意の画像や記述がありますと警告しておきます。医療関係者が情報として出しておいたほうが良いと思って掲載するので、こういうのがダメな方はパスしてください。主に日本住血吸虫について説明します。
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日本住血吸虫症とは?
日本住血吸虫症は日本住血吸虫の寄生によって引き起こされる病気で、かつて日本の一部の地域に流行し恐れられていました。関係者の多くの努力の結果、日本は世界で初めてこの病気を克服した国となりました。しかし、山梨県で終息宣言が出されたのは1996年、筑後川流域で撲滅宣言が出されたのが2000年のことで、じつはそう遠い昔のことではありません。
日本住血吸虫症は、山梨県甲府盆地、広島県旧神辺町周辺、福岡県と佐賀県にまたがる筑後川流域の3つの大きな流行地域と、小規模な感染が確認された地域数か所が知られていました。
日本住血吸虫の生活史(生活環)
日本住血吸虫の生活史は以下の通りです。
糞便(ふんべん)とともに排出された卵が水中でふ化し、中間宿主であるミヤイリガイに寄生します。貝中で分裂増殖した後、ふたたび幼生が水中に泳ぎだし、終宿主であるヒトなどほ乳類の体内に皮膚を通して侵入し、腸と肝臓をつなぐ肝門脈中に寄生します。寄生した吸虫は成熟するとメスとオスが一緒に生活し、腸の内壁に産卵して腹痛を起こすほか、卵が血流に乗って移動し、とくに肝臓に肝硬変を引き起こしたり腹水がたまるようになり、やがて患者は死に至ります。
日本住血吸虫の幼生は流れのあまりない水中にいるので、これらの地域で素足で水田や湿地を歩くと感染が起きました。山梨県の流行地では 「中の割にお嫁に行くなら、持たせてやるぞえ棺桶に経帷子」 といった悲しい謡(うた)が伝えられています。
住血吸虫症の撲滅の難しさの一つは、人獣共通感染症である点です。感染者を治療しても、イヌ、ネコ、ウシといった家畜のほか、ネズミなど野生の動物にも感染するため、感染環を絶つことが困難でした。そこで取られたのが流行地に生息する中間宿主であるミヤイリガイの撲滅でした。撲滅の方策としては、貝を手取りしたり焼き払ったりしたほか、ペンタクロロフェノール (PCP) などの殺貝剤(さつばいざい)が散布されました。また生息環境を破壊するために、用水路のコンクリート化などの農地基盤整備が徹底的に行われました。
各地のミヤイリガイは根絶され、現在は甲府盆地の一部と小櫃川(おびつがわ)流域(千葉県)の個体群が残るのみです。これらの個体群は現在でも監視が続けられています。日本住血吸虫も日本の個体群は絶滅したと考えられます。
さて、現在の農薬は登録時に淡水の水生生物への影響が評価され、昭和30年代のような毒性の高いものは使用されなくなりました。甲府盆地などではミヤイリガイがまだ一部地域に残存しているので、コンクリートで固められた用水路や水田の環境を自然に戻せば、ふたたび分布を拡大すると考えられています。
一海外、特に排水感興が悪い地域では、まだまだ感染が報告されています。世界保健機関の推定では、世界中で2億人が住血吸虫症に罹患(りかん)しており、毎年2万人が死亡しているとされています。国外で住血吸虫症に感染した人や動物が日本国内に入ってきた場合、ミヤイリガイの生息地が広がればふたたび流行の可能性が残っています。
このように、環境や医療面でまだまだ人と寄生虫の闘いは続いています。
遺跡からの虫卵の発見
ヒトの生活は古代から寄生虫との闘いであったようで、遺跡から虫卵が発見された記事が古くから見られます。当時は駆虫の方法もわからず、ヒトは寄生虫の良い住処であったことでしょう。下記の記事はぎりぎり大丈夫でしょうか?
金原教授らによると、土壌から発見されたのは、豚肉を食べて感染する寄生虫(有鉤条虫(ゆうこうじょうちゅう))の卵とみられる。サナダムシの一種で卵殻の状態で5個検出された。橿考研が00年度に行った藤原京の調査では、飼育された可能性があるイノシシかブタの骨が見つかっていたが、有鉤条虫の卵は確認されなかったという。
似内恵子(獣医師)