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歴史の岩戸開き(22)~偶然?必然?どのようにして人生の種類を選ぶのか?

前回のnote記事「歴史の岩戸開き(21)~どうして人は分かり合えないのか?」の続きです。

前回、人は肉体的な遺伝子の他に「魂の遺伝子」というものを持っていて、この「魂の遺伝子」が人によってまるで違う履歴を持っているので、人によって全然異なる意識形態を持っているというお話をしました。

また「魂の遺伝子(生まれ変わり、転生)」には四つの種類があって、
1.鉱物としての人生
2.植物としての人生
3.動物としての人生
4.人間としての人生
というものがあって、それぞれの人生をとおして、その人生でしか得ることのできない、さまざまな「経験値を積んでいく」というお話もしました。

前回は、鷲の過去生を持つ人、狼の過去生を持つ人、パンダの過去生を持つ人についてお話しましたが、たとえば鷲としての人生では、何ものにも束縛されない自由な生き方を学び、また全体を見渡す鳥瞰力を経験することになりますし、狼としての人生では、孤りを楽しむことを学び、また物事の真偽を鋭く見究める嗅覚を身につけることになります。そしてパンダとしての人生では、無心とはどういう意識状態のことをいうのかを経験することになります。

いまは動物としての人生を例に挙げましたが、人によっては鉱物としての人生を長く経験している人や、植物としての人生を何度も経験している人など、これも人によって千差万別の人生を送っていることになります。

ところで、鉱物は世界で約4700種あり、植物は世界で約27万7000種、動物は世界で約175万種あると言われていますが、この中からどのようにして、どの種類の人生を送ることを選んでいるのでしょうか?

結論を言えば、「自分でどの種類の人生を送るのかを決めている」ということになります。ですので鷲としての人生を送ったから自由奔放な性格となり、ものごとの全体を広く見渡すことができるようになった、というよりは、自分の中にポテンシャル(潜在力)として持っていた自由奔放な性格や全体を広く見渡す鳥瞰力を、鷲としての人生をとおして表現することで魂の経験値として蓄積することができた、ということになります。

胎内記憶を持つ子どもたちの絵本を書いてくれている絵本作家のぶみさんのお話にもありましたが、子どもたちは生まれてくる時にお空の上で自分の「お母さん」を選んで生まれてくるとのことで、子どもによって「生まれてくる日」「自分の名前」も自分で選んで生まれてきたと話す子どももいるそうです。
(中にはお空の上にいることがあまりにも心地よくて、生まれるお母さんを決めたのに、なかなかお腹に入ろうとしない子どももいるそうで、そういう時はお空の上の神さまが子どもが油断しているすきに(?)送り出すこともあるそうです。)

なお仏教では「輪廻転生」を説きますが、キリスト教では「人生は一度きり」と説いています。どちらが正しいのかということですが、「どちらも正しい」です。
人は鉱物や植物、動物、そして人間としてのさまざまな人生を体験することで魂の経験値を積んでいきますが、魂の経験値として蓄積するためには一回一回の人生はしっかりと生き切る必要があります。

自分のことを思ったり、考えたりする時に、鉱物とか、植物とか、動物とか、いろいろな経験を積んで今ここに生まれて来ているのだなあと想像すると、自分に対するイメージの幅や奥ゆきが、今までよりもぐーんと広がるのではないかと思います。

ご参考になれば幸いです。

頓首謹言






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