見出し画像

歴史の岩戸開き(21)~どうして人は分かり合えないのか?

それは「一人として同じ人間は存在していない」からです。
ですので親子で意見が合わず反発し合うこともあれば、同じ血を分けた兄弟同士でも、まるで赤の他人のように感じて仲の良い友だち以上に心の距離感を感じることがあるかと思います。

では、どうして一人として同じ人間は存在していないのでしょうか?
私が聞いた話では、人は肉体的な遺伝子のほかに魂の遺伝子というものがあって、それが人によってまるで違うそうなのです。
魂の遺伝子というのは、魂の履歴書と言うべきもので「輪廻転生」「生まれ変わり」と言われるものです。
「輪廻転生」や「生まれ変わり」にはおもに四つの種類があります。それが、
1.鉱物としての人生
2.植物としての人生
3.動物としての人生
4.人間としての人生

とのことです。
(鉱物も植物も動物も「人」ではないので「人生」というのは正しくないかと思いますが、「鉱物生」とか「動物生」だと分かりにくいので、便宜上すべて「人生」とします。)

仏教などでは罰として動物に生まれ変わってしまうというような話があったかも知れないですが、全然そんなことはなくて、その時その時の人生において鉱物や植物、動物として生まれ変わるそうです。(もしかしたら鉱物→植物→動物という順番があったかもしれません)

それに個人的な意見になりますが、もし別の人生において植物になれたり、動物になれるのだとすれば、そちらのほうが全然楽しいと思うので罰にはならないのではないのかなあ?と思っています。

この、どのような経験を得て現在の「私」に至ったのかという「魂の履歴書」が人によってまるで違うので、同じ人間同士でもお互いがまったく理解できない、まるで「謎」の存在のように感じてしまうことがあるのです。

どうして人間として生まれる前に鉱物や植物、動物として生まれてくるのかと言うと、それは「経験値を積むため」です。

たとえば鉱物の人生のときには「ものごとに動じない不動心」「不屈の意志力」の経験値を積み、植物の時には「感受性」「他から愛される経験(植物は基本的に自分の足で歩くことができないので愛されることの大切さを経験する)」の経験値を積み、動物の時には「それぞれの動物が持っている特有のさまざまな能力」の経験値を積みます。

たとえば鳥として生まれたことのある人は、人として生まれた時に翼を持った鳥のように何ものにも束縛されない自由人となりますし、犬として生まれた人はとても忠誠心の強い人間になります。
それも一度や二度ではなく何度もいろいろな鉱物、植物、動物として生まれ変わって経験値を積んでいきます。

私が会ったことがある人で言えば鷲の過去生を持つ人がいて、その人は眼光が鋭く、鷲のように鳥瞰力(ものごとの全体を見渡すことのできる能力)のすぐれた人でしたし、やはり鳥ですのでとても自由奔放な人でした。

(ウィキペディアより)

あとは狼の過去生を持つ人にも会ったこともあります。その人は狼のように群れることを好まず、孤りでいることを楽しんでいるような人でしたが、雰囲気がやはり独特と言いますか、狼のように神秘的な雰囲気でした。また犬の嗅覚は人間の1億倍とも言われるそうですが、その人は物事の真偽を見究めるものすごく鋭い感覚を持っていました。

(ウィキペディアより)

あるいはパンダの過去生を持っている人もいました。禅僧をする人はパンダの過去生を持っている人が多いそうなのですが、パンダはほんとうに何も考えていません。その無心さが愛らしさになっているわけですが、パンダの過去生を持っていたその人はなぜか経理の仕事をしていたのですが、ボーッと一日中座っているだけで、仕事をしているようで何もしておらず、かと言ってサボろうと考えているわけでもなく、ほんとうに何も考えていませんでした!

(ウィキペディアより)

いまは例として3つの動物(というか動物としての過去生を持つ3人の人)を紹介しましたが、想像してみていただきたいのですが、かりに鷲と狼とパンダが同じ人間の姿をして同じ場に居合わせた場合、はたして会話がはずむと思いますか?

たぶんお互いがお互いに「???」となるに違いありません(おそらくパンダは何も考えていません)。あるいは数秒居合わせただけで、関心を無くして鷲は空に飛び立ち、狼は餌を求めて歩き出してしまうかも知れません。(パンダはその場に座り続けるだけかも知れません。)

では、どうしていろいろな経験値を積んで、まるで存在の中身の違う存在たちが同じ人間の姿をして生まれて来るのかと言えば、それは「和合する」ためであり「お互いがお互いの違いを理解し合うこと」にあるのだと思います。

ですので、どうして人は分かり合えないのか?という話に戻りますが、「分かり合えなくて当然」で、分かり合えなくて当然ということが分かれば、かえって相手のことが理解できるようになるのではないか、というお話です。

人によって、どのような鉱物、植物、動物に生まれて来るのかは、ほんとうに千差万別なわけですが、どのようにして種類を選ぶのかというお話については次回お話しようと思います。

ご参考になれば幸いです。

頓首謹言











いいなと思ったら応援しよう!