北海道瀬棚郡利別村河島家のルーツを辿る(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』を読む・番外)
家のルーツをあらわすものの一つに「家紋」がございますが、わが河島家の家紋は「梅鉢」と聞いております。その際に「丸に梅鉢」ではなく「梅鉢」であると念押しされて聞かされましたので、何かしらの来歴があるのかも知れません。
『家紋の事典』(千鹿野茂監修・高澤等著/東京堂出版)によれば、日本家紋研究会の調査では25,000種類以上の家紋が確認されているとのことで、「梅鉢」はこちらの事典では植物紋に分類されております。
梅を家紋として用いたことで知られる有名な氏族と言えば菅原氏ですが、学問の神様として知られる「天神様」の菅原道真公が用いた家紋とあれば、ただいま白頭狸先生がnote記事において展開されている命理学の根本原理である「陰陽五行」を象(かたど)ったものではないかと想像するところでございます。五枚の花弁が「五行」、中心の紋様の区割りが十ですので「陰陽十干」を象っているのではないでしょうか。
わが河島家は曽祖父の代に北海道開拓移民団の一員として渡道したことは申し上げましたが、渡道する前は美濃国郡上郡北濃村(現・岐阜県郡上市白鳥町)にて農業を営んでいたようです。
前回申しましたように、もとは播磨の国にて河島の姓を受けたのですが、その後、応永年間(1394年から1428年)に美濃国郡上郡に入ったようです。
ご先祖様が美濃国郡上郡で農業を営んでいたという話は、私が中学か高校の時に、私の祖父と祖父の次男である叔父がまとめた河島家の記録書を読んで知ったことですが、それとは別に感覚的になんとなく「郡上」という響きに不思議と親近感を覚えると言いますか、なぜか郷愁を感じていたので、今回あらためて情報を整理確認するなかで、自家の過去記録と自分個人の感覚とが符合したので、遺伝子をとおして歴史を知るというのはこういうことを意味するのかと観じた次第でございます。
頓首謹言