自分だけの「歴史」を知ること~北海道瀬棚郡利別村河島家のルーツを辿る(4)(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』を読む・番外)
今回、わが河島家のルーツを辿っているわけですが、この記事をお読みになられた方で、もしも、ご自身のご先祖様の歴史について関心をお持ちになった方がおられるならば、是非ともご自身の家の「歴史」を調べていただきたく思います。
自分の家の歴史のことは、その家に生まれた人が調べない限り、おそらくほとんどの多くの人にとっては関係がなく、また関心のないことであるかと思います。
ですが、多くの人にとって関係がなく、関心がないことであったとしても、それこそが、皆さまご自身が今この瞬間に存在していることの何よりの理由であり、皆様にとってかけがえのない真の「歴史」であると思うのです。
私は駅にむかう道を歩いている時、あるいはスーパーに買い物に行く道を歩いている時、つねづね思うことは「ああ、この道を何百年も何千年も前に生きていた人も歩いていたのだな」ということです。
それは長い年月を経て塵が積もって今よりも地層が深いのかも知れませんが、それでも確かに同じ大地の上に生きていたのだということを実感するわけでございます。
今を生きる「私」に至るまで、そのようにして生命のリレー、遺伝子のリレーを繋いできてくれたことに、素直に心から感謝することが、どれほど高尚な教えやお経よりも何よりも一番の「お経」になるのではないかと思います。
先祖供養の専門技術をお持ちの方々にお委せすることも大切なことではありますが、ご先祖様からすれば、何百年あるいは何千年も未来の子孫から、素直に心からの感謝の気持ちを伝えてもらえれば、何ものにも替えがたい喜びであり、ああ、自分たちが経験してきた辛さや苦しみ、痛みや悲しみも、こうして感謝されるのであれば、それだけの甲斐があった、それだけの価値があった、と思うのではないでしょうか。
ご先祖様の歴史が善行であったとしても、悪行であったとしても、それがあって初めて、今の「私」が存在しているのであり、それがなければ今の「私」が存在していなかったわけですから、今はただ「ありがとうございます」と感じるばかりです。
「ありがたい」とは「有難い」であり、善いことも悪いことも有り得べからざること(あるはずがない、あってはならないこと)ですので、それは奇蹟であり、今このように私が存在していることが有難く、私はほんとうにご先祖様に「ありがとうございます」と手を合わせて万感胸に迫る思いで、感謝申し上げておる次第です。
頓首謹言