見出し画像

歴史の岩戸開き(30)~お金がなくても一生暮らせる「安心」のムラづくり

ネドじゅんさんの「エレベーターの呼吸」を実践して数日後のこと、これまでの「左脳=頭で考える思考法」から、右脳をとおして体全体、とくに「肚で考える」ことを意識して、電車の駅へ向かう田んぼの畦道を歩いていたところ、突如、肚から言葉が湧き上がってきました。

──そうだ、ムラをつくろう!


「え?ムラ?」
我ながら何のことかと戸惑いましたが、その戸惑いとは裏腹に、全身にやる気がみなぎり、電車に揺られながらムラづくりの構想がかけめぐります。

おもえば中学2年生の時に、社会の基本ルールである「競争原理」「資本主義」になじめずに、いちはやく社会のレールから逸脱し、なす漂えるクラゲのごとき人生を送ってきたわけですが、ここに来てようやく、我がさまよえる魂の着地点を見出しました。

とは言え具体的にどのように進めていけば良いか思いついているわけではありません。
「そう言えば、まだ視聴していないyoutube動画があったな」
おもむろにパソコンを起動し、まだ視聴していないyoutube動画を視聴することにしました。

こ、これや! これこそ「答え」や!

天地自然とともに生きるにはこれしかない!!


山納銀之輔(さんのう・ぎんのすけ)
1971年3月20日生まれ。
青年実業家から突然の転落。多額の借金を抱え、離婚・自殺未遂・再起……そしてまた立ち上がったのちの転落。成功とドン底を半生で3度も味わい、全てを捨て、森で狩猟採集生活を続けた日々。その時に自然界から人間本来の生き方を気づかされる。
波乱に満ちた人生の紆余曲折を経た今、生涯の生業として携わることは、全て「自然と共存すること」を軸に据える。衣・食・住・医・癒・農・育の各分野における専門知識と、高い技術。独自の経験から得たまっすぐな感性を集約させた「循環型エコビレッジビルダー」という生き方。現在までに、スペインはプリエゴ、タイのチェンマイ、そしてミャンマー、タンザニアと世界各地で手腕を振るい活躍している。
一方、その技術の在り方を伝える活動の一環として、数々のワークショップや講演も精力的に行う。代表的なものには、各地での古民家再生プロジェクト、ストローベイルハウス作り、日本神道の伝統植物であるマコモを使った「マコモ龍宮城プロジェクト」などがあり、全国から多くの体験希望者が集まる。石垣島では「洞窟サバイバル~生きたまま生まれ変わりの旅~」や、学校に行きにくい子どもたちを対象に、フリーハウスや鶏小屋づくり、銀之輔式愛情農法等を通して、「自然界に寄り添う生き方」を伝えてきた。全ての参加者に、技術だけでなく自身の経験と生き方、捉え方を惜しみなく分かち合い、共鳴した多くの人の人生を本来の姿に導いている。
今後の取り組みとしては、「好きなことでお金を生み出す村」と「自給自足村」お金があってもなくても幸せなエコビレッジ「絵本の村」プロジェクトや、世界中のエコビレッジづくりの依頼を受ける「レインボーピープル」の育成など、日本中へ、そして世界へ、人の生き方と未来への可能性を広げるプロジェクトを、多岐にわたり企画始動中である。

(著書『天を味方につける生き方』プロフィールより)
(Amazonより転載)

銀之輔さんのように、お金があっても無くても生きていくことのできる術(すべ)、自分で衣・食・住を確保する術を身につけることができれば、何があっても大丈夫になります。

印象的だったのが、銀之輔さんの元を訪れたセレブの人たちのお話で、ありあまるほどのお金を手にしているにも関わらず、わざわざ銀之輔さんの元を訪れ、お金が無くても生活できる術を教わりに来ていたというお話です。

セレブの人たちの話では「お金がどれほどあっても手にすることができないものがある」と言います。

それは「安心」です。

ありあまるほどのお金を手にすることができれば、「安心」もたやすく手にすることができるではと思いがちですが、セレブの人たちの話では、お金を稼げば稼ぐほど、お金を失う恐怖が増していき、人のこともどんどん信じられなくなっていくそうです。

実際にセレブの人たちは自分たちの財産を守るために有刺鉄線つきの頑丈な鉄の扉をつくったり、屈強なガードマンを雇ったり、どう猛なドーベルマンを飼ったりしているそうです。

たしかにお金を持てば持つほど、人々の妬みや恨みも買いそうですし、いつどこから寝首を掻かれるかわからない状況かと思いますので、人間不信におちいるのも仕方のないことかと思います。

そして、もう一つ印象的であったのはセレブの人たちとは対照的に、お金と無縁の生活を送っているアフリカのマサイの人たちの生き方です。
アフリカの大自然とともに生きるマサイの人たちは、誰もが笑い、誰もが争うことなく、自然と一体となって生きており、今という一瞬一瞬を楽しみながら生きているとのことでした。

現代の日本人が「便利さ」と引き替えに忘れてしまった、ほんとうに大切なものをマサイの人たちは今も持ち続けているのだと思いました。

銀之輔さんの話では、マサイの人たちだけでなく、世界の半分以上の国や民族は、お金とは無縁の天地自然と一体となった生活をしているとのことでした。

私は、その話を聞いた時に彼らの生き方に憧れと懐かしさを覚えると同時に、彼らの誇り高い生き方、文化を、お金の世界で侵してはならないと思いました。

銀之輔さんは「日本ほど恵まれた国はない」と言います。
同じようなフレーズは聞いたことがありますが、銀之輔さんから聞くと、あらためて新鮮な意味を持って聞こえました。

それは一方で「日本は資源のない国」「海外からの輸入に頼らないと食生活を支えることができない国」という思い込みがあったからです。

しかし、そうではないのです。
銀之輔さんは42才の時に仕事も財産も住む家もすべてを失いホームレスとなり、1年半ものあいだ森のなかで狩猟採集の生活をしていたそうなのですが、1日として食べることに困ることがなかったと言います。

たしかに日本には多彩な四季があり、川があり、山があり、森があります。それもかつての縄文の人たちが自然を神さまの住まうところとして尊び守り続け、またスサノオノミコトが植林の文化を伝えてくれていたからです。

どれだけお金があっても手にすることのできない「安心」という、人にとってもっとも大切なものを、かつての日本人は持っていた。
それは縄文まで遡らなくても、ほんの最近の日本にも存在していた、人として当たり前の生き方だった。
「安心」とは「今を生きる」ということに他ならない。
「お金」を手にした途端、人はそのもっとも大切な「安心」を失う。
日本という国は、お金があってもなくても生きていくことができる知恵と技術を身につけていた。
そして、ご近所さん同士、周りの人たちが助け合い協力し合いながら生きていた。
だから、かつての日本人は底抜けに陽気で明るい笑顔であふれていたのだ。

そういう日本を取り戻したい。
物質的に豊かになりたいのではない。
精神的な悟りを得たいのでもない。
安心したいのだ。
みんなで笑って暮らしたいだけだ。
そのためには、まず自分自身が生きる術(すべ)を身につける必要がある。

山納銀之輔さん、よろしくお願いいたします。

頓首謹言








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?