ラスベガスの黎明期#2 ザ・モルモン・トレイル
皆さん、こんにちは
お元気ですか?
私はラスベガスに住んでいます。
9月に入り、やっと酷暑が終わってホッとしています。
こんな暑いところは誰も住みたくないと思いますよね。
私もそうでした。
しかし、歴史を勉強してみるとラスベガスは、本当にアメリカの開拓歴史の最後の終着点であることに気付きました。
東海岸から始まり、1800年前半から1900年までに西への大移動が始まります。
大体、人の流れを見てみると、東海岸から西海岸にたどり着き、そして、多くの人々がラスベガスに辿り着きます。
ここが面白いところです。
ラスベガスのダウンタウンが建設されて、ラスベガスが始まりました。
この建設のキッカケを作ったのが、鉄道がロサンゼルスからソルトレイクシティまで開通して、その中継地点ということラスベガスに白羽の矢が立ちました。
つまり、ラスベガスが作られ大きなキッカケを作ったロサンゼルスは、先回のオールド・スパニッシュ・トレイルです。
そして、ユタ州にあるソルト・レイク・シティを築いたのはモルモン教徒の大移動によってです。
モルモン教徒たちの移動に使われたザ・モルモン・トレイルは、ラスベガスの歴史を知る上でも最も重要な要素の一つです。
そして、ラスベガスでギャンブルが商業化して、マフィアが牛耳っていた頃、銀行業やファイナンシャルの分野で仲介役をしていたのがモルモン教徒でした。
かなり、深い関係があります。
ザ・モルモン・トレイルは、イリノイ州から始まります。
1846年に中西部のイリノイ州ナウブーという場所から、ユタ州のソルト・レイク・シティまで2100キロの道を6万から7万人の人々が移動してきました。
そして、ソルト・レイク・シティに、彼らの宗教の自由を求め、たどり着き、そこでコミュニティーを築き上げます。
そこから、また新たなトレイルをロサンゼルス迄開拓していきます。
ここでアメリカの歴史を知るときに、必要な人種が3つあります。
白人、黒人そしてネイティブ・アメリカンです。
ネイティブ・アメリカンとは、俗にいうインディアンです。
東海岸では、黒人は肉体労働の奴隷で、ネイティブ・アメリカンは道先案内人を強制させられ、最終的には奴隷のように使われました。
東海岸では、奴隷がいなければ成り立つことにない経営理念だったので、黒人はもちろんのことネイティブアメリカンと共栄共生することはできませんでした。
しかし、モルモン教徒たちはちょっと面白いところがあります。
ラスベガス近郊や西側に多く住むネイティブアメリカンは、パイウート族でした。
恐らく、皆さんにはナバホ族やアパッチ族、チェロキー族などが有名です。
モルモン教徒たちの信じるモルモン書には、ネイティブアメリカンは失われたイスラエルの部族であると記されているそうです。
ですので、共生・共栄が最初は行われていました。
しかし、最終的には仲たがいです。
モルモン教徒は、迫害があり、ネイティブアメリカンたちは彼らの土地を法的に強制奪取されたりして、うまくいくわけありません。
しかし、モルモン教徒は宗教的な迫害を受けてきたゆえに、神の下の平等を実践しようとしてきたことをすると驚かされます。
アメリカの人種差別の歴史は根が深いですからね。
ラスベガスにはモルモン教会が本当に多いです。
現在の、ソルト・レイク・シティからラスベガスへと続く道は、I-15になっています。
因みに、ネイティブ・アメリカンの足跡として、書く文字を持たない彼らが壁画で何かのメッセージを残しています。
ユタ州にある壁画です。
これは本当かどうか知りませんが、1500万年前に書かれたとされています。
次は、バレーオブファイヤーです。
ここはラスベガスから1時間半くらいです。
同じような壁画があります。
これらの壁画は、まだ読むことができません。
アメリカの西海岸は、国立公園が多く、本当に自然が素晴らしいです。
そのアメリカの西を知るには、ネイティブ・アメリカンの歴史は欠かせません。
そして、アメリカを東から西へと押し出していったのは信教の自由を求めていった人たちであることも忘れてはいけません。
最初の建国をしていったピルグリム達は、カソリックなどの宗教的圧迫によりヨーロッパから海を越えて東海岸に辿り着き、建国しました。
そして、200年くらい経ち、モルモン教徒たちが東から西へ追い出されていきました。
カソリック教徒たちは、オールド・スパニッシュ・トレイルを通して西に渡ってきました。
面白いですね。