これからのはなし
今年に入ってから会う人会う人に
「今どうしてるの?これからどうするの?」とか
「自分でライブハウス作るって聞いたよ」とか
「高松に移住したんですね」とか
色んなことを色んな人から言われて、その度に
「宇宙飛行士になって月行きます」とか
「商材商法で荒稼ぎしますわ〜」とか
適当なことを言って逃げてたんですが、
挙句の果てには近しい友人達からも「色んな人から長谷川君ってどうするん?って聞かれますわ…」みたいなことをちょっとため息混じりに言われ始めて、
自分だけならまだしも周りも巻き込み始めたことに罪悪感を感じつつ、ただただゴシップ的に関係ない自分の動向を探ってくる人たちが自分のいた界隈に沢山いたのかと思うと並々ならぬヘイトも溜まってきて、
「どうせ酒も飲まんしタバコも吸わん。ギャンブルもしなければ女遊びもせん。煩悩らしい煩悩がないんなら京都で修行して出家するか。」
などと思ってたタイミングで京都MUSEの行貞さんから
「来年35周年を迎える京都MUSEを今一度盛り上げたいので力を貸して貰えませんか?」
という連絡を頂いたので、この度6月より京都MUSEでブッキングマネージャーとして働かせて頂くこととなりました。
ってことで、
5月末には38年間住んでた徳島という街を離れ単身で京都に移り住みます。
自分のことのように心配してくれてた皆さん、この場を借りて本当にありがとうございました。
中でも高知X-pt.西岡さん、松山サロンキティ伊賀さん、松山double-u studioアニキさん、高松DiMEエイジさんといった四国の大先輩方は、辞めた時から沢山心配の連絡や今後のアドバイスを頂き、自分が徳島を離れることを伝えたら自分の街のことのように残念がってくれて…
何年かかるか、どのような形になるか分かりませんが、頂いた恩を返せる男になりたいな、と改めて思いました。
広島ALMIGHTY今谷さんは何度も「お前なら大丈夫、みんなお前が帰ってくるの待っとるけ〜」と電話をくれ、
DUKE西内さんは正式に京都MUSE行きが決まったことを伝えたら「やった〜!」と電話口で叫んでくれて、
沢山の人が押してくれたからこそ進むことが出来たんだとも痛感しました。
有難いことに、県内外、同業種、他業種問わず本当に沢山の方々から「ウチで働かないか」と言った声を頂いて、その全てが自分みたいな奴には勿体無いオファーだったんですが、
中でも行貞さんは何度も徳島にまで足を運んでくれて直接話をしてる内に、
行貞さんが今まで大事にしてきたことやこれから見たい景色に共感したし、
僕が今まで大切にしてきたことやこれから見たい景色を応援したいと言ってくれたから、
京都MUSEでお世話になることに決めました。
ただただ暗闇の中を転がり落ちてただけの自分に一筋の光を照らしたくれた行貞さんには本当に感謝してもしきれませんし、
長年田舎町でお山の大将をしてただけの何者かも分からない自分を受け入れてくれた店長の植島さん、デスクの藤原さん、ステージの野津くんを始めとしてチーム京都MUSEの皆さんの懐の深さにも頭が上がりません。
とりあえずは35周年を盛り上げるという名目での2年契約なので、
2年後は当初の予定通り修行して出家するのか、
変わらず京都MUSEでお世話になるのか、
はたまたまた違う街の違うライブハウスにお世話になるのか、
徳島に帰ってきて何か始めるのか、
正直今の自分には全く持って何も想像出来てないですが、まずは目前の35周年を自分なりに精一杯盛り上げられるよう誠心誠意尽くしたいと思う次第です。
そして同タイミングでDOPING PANDAのツアーにスタッフとして同行することとなりました!
四星球や地元バンドのスタッフとしてライブ会場にお邪魔することはあったけど、ゴリゴリにワンマンでツアーを回るバンドのスタッフとして移動から搬入搬出、楽屋周りの手配から物販諸々…
そんなツアースタッフ業務なんかをちゃんとやった経験がないにも関わらず、自分みたいな奴に白羽の矢を立ててくれたDrの稲葉さん、そしてご快諾頂いたフルカワさん、タロウさんを筆頭としたチームドーパンの皆さん、本当にありがとうございます。
ずーっと名前を聞いてたライブハウスやフェスにちゃんと仕事として出入り出来ること光栄に思います。
今年は北は北海道から南は福岡まで、東京にも何回も伺います。
正直「自分に務まるのか?」とか「迷惑掛けないようにしないとな」みたいな不安は付き纏いますが、
それ以上に自分が大好きで尊敬する方々と日本中を飛び回れることを誇りに、こちらも誠心誠意尽くしたい次第です。
更に、変わらず徳島で受けてた様々な案件に関しては引き続き受けさせて頂きます。
既に今年度2本はイベントに関わらせ頂く話も貰ってるので、こちらも今まで通り精一杯やりつつ、もし何かありましたら変わらずお声掛け頂けると嬉しいです。
自分が大切にしてきたイベント“若者たち”もやりたい理由ややる意義は少し変わって来つつも、それでも心の底にある「やりたい」という気持ちが消えることはなかったので、何らかの形で続けていけたら良いな、とは思っております。
ただ開催会場のことや溜りに溜まった負債のツケやら、解決しないといけない問題は山積みなので、簡単に「今年もやります」と言えないことが心苦しいですが、
それでも、もし自分の様に“若者たち”のことを大事に想ってくれてる方が居ましたら、頭の片隅に置いておいて頂けると嬉しく思います。
「自分のやりたいことの為にその歳になって家族を置いて行くの?」と本当に沢山の方に言われて、そう言われることが億劫過ぎてここまで殆ど誰にも言って来なかったってのが正直なとこなんですが、
「もう全てやり切ってこれからは家族の為にお金稼ぐわ!と本心で思ってるならともかく、家族を言い訳にやりたい事を諦めてその後悔を抱えたまま今後ずっと生きられるくらいなら、離れて暮らしてでも後悔しない様にやり切って欲しい、その姿を見せることが息子にとっても1番良い」と言ってくれた嫁、
「京都って大きいポケセンとか脱出ゲームあるとこよな?じゃあ父ちゃんに会いに行くついでに脱出ゲームやポケセン遊びにいけるでー!」と嫁譲りのポジティブさで送り出してくれた息子、
色々な意見もあるし、お互いにとって大変な生活が待ってるのも重々承知の上で、
これが僕にとっても長谷川家にとってもベストな選択だったと何年掛かっても言えるようにしたい、しないとなと思ってます。
自分が徳島を離れて暮らすとか、全国規模のアーティストのスタッフになるとか、1年前では想像出来なかったような未来がこれから待ってるわけですが、
同じようにこれからの生活が想像出来ない未来に繋がってるんかなーと思うと、年甲斐もなくワクワクしております。
心配してくれてた皆さん、本当にありがとうございました。
おかげさまで、まだもう少し自分らしく生きられそうです。
そしてこれから出会うであろう全ての皆さん、
何卒宜しくお願いいたします。