アニメ 『ルックバック』

良かった。動かす意味がある、かな〜くらい。

最初の四コマが動いてるのが、豪華でおもろかったな。藤野のウマヘタ四コマがアニメ化!

チェンソーマンと同じく、また扉が大事なモチーフとして使われてた。扉を隔てて、それを開けた世界と開けなかった世界に分かれたり、京本の美大での作品がチェンソーマンのあの扉だったりとか。
藤本タツキにとって、どれほど扉が重要なモチーフなんだろう。なんでそう思うんだろう。荘厳な扉じゃなくて、日常のなんてことない扉がそんなに怖く見えるのはなんでなんだろう。何を経験したんだろう。藤本タツキの美大時代の作品を見たくなった。

京本が外に出なかった世界線の藤野のキーック泣いちゃった。かっこよくて藤野せんせー!って言いたかった。

絵を描く、漫画を描くって孤独なんだね。
京本が美大に行くために漫画描きから抜けてからが孤独だった。それでも成果を上げていく藤野が凄いけど孤独だった。

なんのために描くって藤野にとっては京本が居たからあそこまで描いて描いて描きまくって描き続けられたんだね。京本が死んでも、京本が居るから描き続けられた。

藤野が漫画描く→孤独だけど成功

藤野が描かない→漫画以外で成功

京本が死ぬ→藤野と友達になれた幸せ

京本が生きる→孤独の先に藤野と友達になる幸せ

どれが良いんだろうね。そういう問題じゃないんだろうけど。
絵を描く孤独と、描く理由って何かって話なのか。いつどの世界線に居たって、孤独に描き続けて苦しみながら、それでも描く理由があって続けられたって話なのかな。

京本が生きてても、藤野は「また漫画描き始めた」とか嘘かわかんないこと言ってるけど。その場合また二人で仲良く漫画で成功する未来はあるのだろうか。それがベストな世界な気がしちゃうけど。
逆に、どれが本当の世界、とかあるのかな。パラレルワールドってどれも本物だよね?それなのかな。

あれは藤本タツキの話なのかな。シャークキックはチェンソーマンの表紙オマージュだった。漫画のルックバックでもそうだっけ?山形の美大とか、若くして読切複数掲載とか全部藤本タツキの体験談。今気づいたけど名前も藤野と京本、2人で藤本だ。
最後のシーン、救急車に乗っている藤野と京本が向かい合っているシーン、救急車の扉が閉まると、窓に反射して京本の顔が写る。二人の顔が重なるみたいだから、そこで二人で一つなのかなと思った。

絵が好きな自分(京本)と、プライドで描いてる自分(藤野)。絵が好きな自分が居なくなったとき、それでも描き続けられるのは
1 他人としての京本(作品を愛してくれる人・ファン)がいたから
2 自分の一部としての京本(絵を愛して努力した人)がいたからプライドのため
どれかなー。藤本タツキにとってどれだったんだろう。
藤本タツキも描けなくなる事があったのかな。誰か描き続ける理由になる一人の人が居るのかな。

今頑張っている人には、それはそれは心に刺さるお話だと思う。今努力していない自分には わぁ くらいの感情しか湧かない。良かったね😊とか悲しい😢なんて言う物語じゃないし。

2024/08/18

いいなと思ったら応援しよう!