
残念すぎる日本の名城シリーズ第4回:彦根城|すごいけど残念!?国宝天守と隠された歴史の秘密
こんにちは。「残念すぎる日本の名城シリーズ」第4回は、滋賀県の誇る彦根城をご紹介します。彦根城は国宝に指定された天守を有する名城として知られていますが、歴史の流れの中で失われた要素や変容した部分も少なくありません。今回は、彦根城の魅力的な特徴と、歴史の中で変化してしまった点の両面から、この名城の本当の姿に迫ります。

1. 彦根城の基本情報
1-1. 井伊氏の居城として
彦根城は、1604年(慶長9年)、徳川家康の命により井伊直政によって築城が開始されました。その後、井伊直継によって完成し、江戸時代を通じて井伊氏の居城として重要な役割を果たしました。彦根は江戸幕府にとって重要な位置にある城として、政治的にも大きな意味を持っていました。

1-2. 国宝指定の天守
彦根城の天守は、1952年(昭和27年)に国宝に指定されました。現存する12天守のうち、国宝の指定を受けているのはわずか5城のみで、彦根城はその栄誉ある一つです。この指定は、彦根城の建築的・歴史的価値の高さを証明しています。

1-3. 城下町の発展
彦根城を中心に発展した城下町は、江戸時代から連なる町並みの一部が現在も残されており、歴史的な風情を感じることができます。当時の町人文化や商業の様子を今に伝える貴重な文化遺産でもあります。
2. 彦根城の魅力的な特徴
2-1. 優美な姿の天守
彦根城の天守は、白壁に黒瓦の屋根が映える優美な姿が特徴です。3層4階の構造で、各階の屋根の反りが美しく、日本の城郭建築の美の粋を集めたものとして建築史上高く評価されています。特に朝日や夕日に照らされた姿は格別の美しさを誇ります。

2-2. 文化財の宝庫
天守だけでなく、太鼓門櫓や西の丸三重櫓など、重要文化財に指定された建造物が多く残されています。これらの建築物は、江戸時代初期の城郭建築の様式を今に伝える貴重な遺構であり、彦根城の歴史的・文化的価値を一層高めています。

2-3. ひこにゃんによる文化発信
2006年の国宝・彦根城築城400年祭を契機に誕生したキャラクター「ひこにゃん」は、全国的な人気を博しました。このキャラクターは彦根城の知名度向上に大きく貢献し、歴史遺産と現代文化を結びつける架け橋となっています。

3. 彦根城の残念な側面
3-1. リサイクル品の寄せ集め
国宝の天守をはじめとして、門も櫓も石垣も多くがリサイクル品で作られています。佐和山から彦根山へ移動して築城する際に工期を短縮するため資材をかき集めたということでしょう。
天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から、太鼓門は彦根寺から、石垣は佐和山城からなどといった具合です。
3-2. 本丸御殿の消失
かつて存在した本丸御殿は、明治時代に取り壊されてしまいました。約1,000坪もの広さを誇り、豪華な襖絵や天井画で装飾されていたとされるこの建築物の消失は、彦根城の歴史的価値の一部を永遠に失わせる結果となりました。現在、その跡地には何も建っておらず、往時の栄華を偲ぶすべもないのは非常に残念です。
3-3. 石垣の修復跡
彦根城の石垣は、築城当時の姿を完全に残しているわけではありません。江戸時代から明治、大正、昭和にかけて幾度も修復が行われており、その痕跡が目立つ箇所があります。特に、昭和期の修復では現代的技術が使用され、古来の石垣との違和感が顕著です。
3-4. 天守内部の近代的改変
国宝に指定されている天守ですが、内部は明治時代以降に大きく改変されています。階段が設置され、展示室として利用できるよう床が張られました。また、耐震補強のための鉄骨が挿入されるなど、現代的要素も加わっており、純粋な江戸時代の建築としての価値が部分的に損なわれています。
3-5. 堀の一部埋め立て
彦根城を防御する重要な役割を果たしていた堀の一部が、明治以降に埋め立てられました。特に外堀の多くが失われ、現在では道路や住宅地となっています。これにより、築城当時の彦根城の規模や防御システムを実感することが困難になっています。

3-6. 城下町の変容
江戸時代の町並みが一部残る一方で、現代的な建物も増加しています。特に城下町の中心部では、コンクリート造りの建物や現代的商業施設が立ち並び、歴史的景観との不調和が見られます。歴史的連続性が途切れてしまっている点は惜しまれます。

3-7. 井伊氏の財政難による影響
江戸時代後期、井伊氏は財政難に直面することがありました。例えば、天保の改革(1841-1843)の際には、彦根藩も財政再建を迫られ、城の修繕や改修が後回しにされたことがあります。このような財政状況が、現在に至るまで城の保存状態に影響を及ぼしている可能性があります。
3-8. 観光施設の現代化
観光客増加に伴い、現代的な観光施設が導入されていますが、歴史的雰囲気と現代的要素のバランスが取れていないと感じられる部分もあります。城内に設置された自動販売機や現代的なトイレ施設、案内板などが、城の歴史的風情を損なっているという指摘もあります。
4. まとめ
彦根城は、国宝に指定された天守を持つ名城として、多くの人々を魅了し続けています。しかし、本丸御殿の消失や石垣の修復跡、天守内部の改変など、歴史の流れの中で失われたもの、変化したものも少なくありません。
これらの「残念な点」を知ることは、彦根城の歴史をより深く理解し、その価値を再認識することにつながります。過去の遺産を未来へと継承していくためにも、彦根城の魅力と課題の両面を見つめる視点が大切ではないでしょうか。
皆さんも彦根城を訪れる機会があれば、その優美な天守の姿だけでなく、歴史の変遷が刻まれた痕跡にも目を向けてみてください。そこには、400年の時を超えて語りかけてくる、彦根城の真の姿があります。
参考資料
香原斗志『教養としての日本の城』(平凡社新書)
彦根市公式ウェブサイト: https://www.city.hikone.lg.jp/
デジタル城下町「彦根城の登城の前に知っておきたい歴史・地理・文化ガイド」 https://note.com/digital_jokamachi/n/n7f9f2d3b5a4e