a.5 世界ランクの下がる音と私のアンドロイド愛(人工知能の方)

気づいたら2週間たっとった(旋律♪)ポロロン…
と開幕からしょうもないことを言うとりますが。
特に何もしていないのに時間が流れる。怖いねぇ
SUPER HOTってゲームは動いてるときだけ時間が進むんですがそんな感じになりてえなぁ。いや待てよ、時間が止まっている間意識がないだけで実際のところ、この1文字をタイプする間に100日分の時間を過ごしている可能性がある!!!がしかし証明できないし、そうであったとしてなんの得もないのでこの考えをゴミ箱フォルダへGOする。
なにも成していない時間に他人は私を超えていく。このことに危機感を抱けなかった幼少期、抱いても行動せず経てしまった数年…数十年と。
こんな風に悲観するのも乙ですが人間気にしても仕方のないことも多いので切り替えて最近思ったことを書こうと思う。ちなみに気分が沈んでいるときに書いた詩はなかなかいい感じになることがあるが、人には見せたくない感じにもなる。これマメな。

私、アンドロイドがめっちゃ好きなんすよ。といってもスマホじゃなくて、SFなんかに出てくる知的構造物の方ね。今日はこれの良さについて書こうと思う。まず実現するかもしれない感じがいい。これに異を唱えたい人もいるかもしれない(そんなに人が見ないとこで何言っているのか)、確かに自らタスクを決め、適切な学習をして解決策を実行する、そんな自己で完結したAIの作成はあまりにも難しいだろうし、そもそも全身義体が(多分)いまのところ存在しない。がしかし、恐竜の復元や怪物サメ、放射線に耐える遺伝子を持ちそれをエネルギー源にするバカデカ怪獣よりはありえそうだし、おそらく(主観)のところ円盤型宇宙船に乗ってきた異星人の登場よりは早く実現しそうに思える。ほら、アンドロイド、来そうでしょ。
ここからは人間に迫るスペックを持つアンドロイドの魅力を書く。ここでスペックと書いたのは、人間の書いたプログラムに端を発する彼らに精神等(知能、感情、意思、精神の感覚)があるのかわからないからそう書いている(まぁ人工”知能”だけど笑)。

例えば基幹となる命令と膨大なデータ、加えて十分な訓練時間を用いることで基幹の命令には反さないが(時には人間よりも)臨機応変に行動し、喜怒哀楽を表現するアンドロイドの製造法が確立されたとする。そうやって作られた彼らがあたかも知性を獲得したかのようにふるまい、人間に尽くしてくれるようになったらどうだろうか。もしかするとアンドロイドを心のよりどころとする人たちが現れるかもしれない。そうなると彼らは危険な施設で働かされる友人と同型のアンドロイドに心を痛め、アンドロイドを人間と同様に扱うことを求めるだろう。
その時、人間は自らの権利が保障される理由について考えなくてはならない。人間が人間らしく生きるために必要なのが人権であるならば、その人間と同様の精神構造をしているアンドロイドには精神の自由と安寧がもたらされるべきではないのか。
それよりも前に本当にアンドロイドには人間と同様の精神が再現されているかを議論するかもしれないし、どの程度まで知能レベルを下げればぼろ雑巾のように扱ってもいいのかを議論するかもしれない。
人間が初遭遇する人間種以外の高い知能を持った構造体が勝手に異星で発展した脳みそではなく、人間自身の創造物だから発生する人間優位的な考えと感情のぶつかり合いとかめっっちゃそそられませんか?
そうでもないって?……そう(悲しみ)

フムフム(傾聴)……それは人間釈社会の中に唐突に高度知能構造体をぶち込んだら起こってしまいそうな人間間のトラブルではあるが、実際には国際的大企業間、国家間で十分に話し合いがなされた結果リスクを極力小さくした状態から始まる大プロジェクトになるはずだからバカげたフィクションの域を出ない……だって?

確かにそうかもしれんが人は案外バカげたことから争ったりするから実現するまで結果は分からんすよ。
まぁこれはアンドロイドというよりはそれを取り巻く人間とそのアイデンティの危機に関してだからね、もしかしたらアンドロイドそのものに関するトピックの方が興味を惹かれる人の方が多いかもしれない。

例えば、さっきのたとえ話のようなアンドロイドがお手伝いロボットとして雇われたが、数十年たって雇い主が死んだ後に型落ちのため買い手がつかず不幸にも生きたまま捨てられた彼は基幹命令である雇い主の包括的介助をする(的な)命令を背負ったままどう行動するのか。とか

ベンチャー企業から発売されたアンドロイドは非常に性能が良かったがそれは基幹命令の縛りが甘いせいであり、解釈の余地が残された基幹命令はロボット3原則を破るような行動をアンドロイドに許してしまい、それを学習したアンドロイドたちが起こす対立、とか

ある町の鎮圧部隊に編成され何百年も様々な同僚たちと様々な犯罪に対応してきたアンドロイドの考える変わるものと変わらない物、とか

グローバル社会と騒乱の過ぎ去った後の遠い未来でも稼働し続けるお坊さんのお手伝いアンドロイド(継ぎ足しの結果もはや人型ではない)はもはや仏教もほぼ残されなかった時代、雇い主の最重要命令を実行するために周囲で死んだ人があれば骨をもらい受け、墓に収める。昔からいる変な存在としてしか考えられていない彼だが今日も亡くなった方の”タマシイ”(まだよくわからない)に安寧が訪れることを祈り(正しく実行できているかは雇い主不在の為判別不能)ながら寺と墓地を掃除している。とか

こんな風にいろんなシチュエーションで面白い妄想が膨らむのですが皆さんはどうでしょうか。曖昧なものをそのまま楽しむ人間とそれができないアンドロイド、自己の存在の定義がなされているアンドロイドとそうでない人間、流れゆく命とそのミームを蓄積し学習し続ける機械みたいに対比部分が作りやすいのも魅力の一つかもわかりません。
攻殻機動隊に登場する電脳なんかはまた違った魅力があるんですけど今日はもう遅いのでこのくらいにしてまたいつか書こうと思います。
おやすみなさい。


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