a.4 神とニョッキ

今日は何もしなかった
昼にニョッキを食べた。とってもうまかった。あれってポテトでできてるんすね、パスタっていうもんだからてっきり小麦粉だと思ってたから一口目びっくりした。結構お気に入りになったからまた湯がいて食べようと思う。
メリーの水槽 - 星界 (youtube.com)
今日見つけた作品の中に
”偶像的だった神は死に、抽象的な神だけ残された”
”漠然的だった神は死に、具体的な神だけのこされた”
という文章があり、楽しくなった。
以下は妄想であることに注意してほしいんですが、
古来に人間が神というか精霊的なもののイメージを想像(もしくは発見)したモチベーションって超常的な存在を不可解な現象の原因として擁立しておくことで暫定的に世界を理解しようとしてたからだと思うんですね。つまり”俺はおなかがへったら狩りをして飯を食う、動物も虫もそうしてる、それなら雷や寒波や日照りも誰かの意思によって起こされた現象であるはず”といった具合に現象と意思の関係を帰納的に推察し、それを理不尽な現象に演繹したといった感じ?とでもいえばいいのでしょうか。不可解現象の発生主としての神を発見することで人間はその対象に対して様々なアクションをとれるようになったはずです。神の機嫌を取るための行動を模索したり神の起こす現象の被害を減らす方法を考えたり、はたまた神の存在を認知はするがそれに働きかけることはせずに共存するなどの行為が考えられるっしょ。それって何をするんかわからん”何か”(漠然的神)がいて、それは不可解な現象(あるいは一見わからない因果関係)の動作主の象徴(偶像的)となっていたってことなのかなと思った。
一方で現代において(もちろんすべての宗教のすべての祀られるものに対して当てはまることではないが)神…というか宗教では具体的に〇〇って神がいて、△△ってことをすれば幸福になる、天国へ行ける、浄土へ行ける、解脱できるってな具合にやけに具体的な存在と命令がなされている上に抽象的なご利益(現象)をくれるな~とか思った。
古代で神は世界の定義のために必要とされていたが現代では個人の価値定義のために必要とされているように感じて、なんか自ら見出した上位存在の存在意義を勝手に捻じ曲げるの人間傲慢すぎて草なんだという感情になった。

なんか思想強い人みたいになってきてるからこの辺でやめとこう。前回百合アニメの話して今回は神の変質の話とか意味わからんからね。まぁ金払ってい聞いてる人もいないから適当でいいかとか思ってると文章もぐちゃぐちゃになるんすね。こんな具合に。これまで気ままに文章を書く経験がなかったから四苦八苦しながら書いてます。これまで適当に流し読んでたネットニュースの記事、オカルト雑誌の謎コーナー、ゆっくり実況で読み上げてる文章等々みんな頑張って文章書いてるんすね、人間……すげぇぜ!!


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