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ゴミ屋敷のお風呂場で産まれた私│児童養護施設出身25歳
2025年1月25日、25歳になりました!!!!!
まず、今日まで生きてこれたこと、たくさんの方に出会えたことに心から感謝です。
このnoteから本格的に「逆境体験を超えていけ!」をテーマに書いていきたいと思います。
さて、バックグラウンドを遡ろうと思いますが、まずは誕生からです👶
2000年の今日、都内のアパートで
7人兄妹の3女として産まれました。
7人兄妹……………?!ってなりますよね。
出生記録で言うと
兄 ⇒姉 ⇒兄 ⇒ 兄 ⇒姉 ⇒【私】⇒ 妹
こうなっています。
もう1つツッコミポイント「都内のアパートで」
に関しては、助産師さんを呼んで自宅出産をした訳ではなく、母が1人で産み、父が取上げています。
それも7人全員。
私は出産の経験がないのでやばさがピンと来ないのですが
トータル10時間以上
医療行為が必要
人生でトップレベルの激痛
命の危険
これ以外にも経験、立ち会いなどした事がある方には、1人でやってのけることがどれだけ恐ろしいか分かりますよね………。
ではなんで家で産んだのか。
父「出産は病気じゃない。人間だって動物なんだから自然にできるだろう。私が臍の緒を切っていた。」
母「1人目の時は病院に通ってたんだけど、陣痛が来た時に間に合わなくてお風呂場で産んじゃったの。で、1回できたから後はみんな家で産んだわ。」
んえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜?!?!?!?!
とは思いますが、ほんとに7人産まれてます。
1人だけ生後3ヶ月で亡くなってしまいました。
逆に、衛生環境の整わない家で産まれ、予防接種も一切受けていない残りの兄妹が皆健康に問題なく育ったのが奇跡なのではないでしょうか……………。
そして何より足の踏み場もないゴミ屋敷でした。
もちろんお風呂場も清潔ではありません。
加えて、父が和式トイレの練習のために、子どもたちにはお風呂で用を足させていました。
(これも普通に意味が分からない)
でも大病することなく元気に育って良かった!!!
この1話目(?)を読んだだけでも、私の両親は認識にかなりのにズレがある事がわかると思います。
確かにそのせいで振り回されてるし、傷つく事もありますが
私に備わっているレジリエンスやアントレプレナーシップは確実に両親から受け継いだものです。
誕生日は、この世に生を受けたこと、そして産んでくれた両親に感謝する日だと思っています。
なので最後に、両親に贈る言葉を残します。
産んでくれてありがとう、たくさんの人に出会うことができ私は幸せです。
何か感じ取っていただくことがあれば幸いです。
では今日はこんなところで!
次回、「虐待家庭での軟禁生活」お楽しみに!!!!