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【双極と私#2】とうとう限界が来た

こんにちは、百華です。

自分を紐解くシリーズ第二弾。
今回は限界を迎えた日。




学会ラッシュと学術論文の提出


2016年は、学会ラッシュの年でした。

博士課程に進むつもりで就活もしていませんでしたから、
先生方は目をかけてくださっていたのかもしれません。
国内、国外問わずいろんなところに行かせていただきました。


同じ研究成果を毎回発表しても意味がない。
発表するポスターを、スライドの内容を、必ず毎回つくり変えなければならない。

短いスパンで新しい結果を提供するために、
昼夜を問わず、寝食を無視して、実験に励みました。
身体は悲鳴を上げていても、心はまだ生きているから大丈夫と信じて。


学会ラッシュが終わった秋口。
あらかじめ作成を進めていた学術論文を、雑誌に投稿しました。

revision(要修正)の通知を受けて、追加実験を行った結果を加えて、
新たにまとめ直した論文が、無事に受理されました。


あぁ、解放された。


そう感じました。
まだこれから、自分の学位論文を書かないといけませんが、
学術論文という大きなベースができたことで安心しました。

この日、久しぶりに布団に入ってゆっくりと眠ったのです。


燃え尽きた心


それ以降、布団から出られなくなりました。
一日中、家の中ですら動くことができず、欠席が続きました。

精神疾患になんてなるわけがない。
なっていたとしても、公言するのは恥ずかしい。
ちょっと頑張りすぎただけ、しばらく休めば治る。

心が壊れていることに気づいたにも関わらず、頑なにそう思っていたので、
体調不良、家族の都合など、バレバレの嘘を並べて、
学校へ休みの連絡をしていました。


今日は動けると思ったある日。
重い身体を引きずって大学へ行き、倒れるように自分の席に座ると、
後輩が呼びに来ました。

先生が呼んでいる、と。


「最近、遅刻や欠席ばかりだけど何か理由があるのか」


開口一番、そんな言葉が飛び出しました。

先生は心配してくれただけ。
でもそのときの私にとっては、最後通告のような重みがありました。


先生の問いかけに、何も言えませんでした。
泣くもんかと思っていても、涙が溢れてきます。


「話したくないならいいんだけど、連絡ないこともあるし心配している」


声を荒げることなく、自分のデスクの書類に視線を落とした先生。
私は声も出せず、涙を流しながら唇を噛み締めることしかできませんでした。


寝てたら日付が変わってしまっただけとはいえ、連絡せずに休むなんてありえません。
まともな時間に登校することもできず、かとおもえば、泊まりこんで夜通し実験をしている。

スタッフ陣も、おかしいと思っていたでしょう。
というか、思っていてほしい。

遅刻や欠席が悪いのは置いておいて、夜も頑張っているのが当たり前だと思わないでほしい。
きっと私たちのころよりも厳しかった時代を生きてきた先生たちは、当たり前のように通ってきた道なんだろうけど。


この日を境に、大学へ行くのが怖くなりました。
眠ると朝が来てしまうので、眠れなくなりました。

朝が来るのが憂鬱で、でも大学へ行かないとさらに評価が下がってしまう。
何とか自分を鼓舞して、午前中のうちに外に出ました。

でも、家の最寄り駅に着くと、目の前が真っ暗になって、息苦しくなって。
ホームでしゃがみこんでしまうことが増えて。
気づけば、大学方面へ向かう電車に乗ることができなくなりました。


そのうち、遊びに行くときも電車に乗れなくなり、
改札を通ること、駅に近づくことすらできなくなりました。


それでもどうにかしていかないといけない。
その一心で、バスを乗り継いで、大学へ行こうとしました。

でも、大学が近づいてくると反射的にバスを降りてしまう。
あぁ、今日も行けなかった。
毎回、その場で途方に暮れました。


もうどうしたらいいのかわからない。
また同じ行動を、気持ちを、繰り返すことになるのかと思うと、
家にも帰りたくなくて。

降りた場所から歩いて、見つけたネットカフェに入りました。
一人のうす暗い空間で、ただ明るく光っているPCの画面を眺めているだけ。
何の感情も湧き上がってきませんでした。


始発で同じ経路を辿って家に帰り、シャワーを浴びて着替え、
再び大学へ続く道に挑み、あっけなく失敗する。
ネットカフェやカラオケにこもり、無感情で一点を見つめる。


ご飯も食べられない。
目を瞑ることもできない。
こうしていたら、そのうち死んでしまうのかな。

それでもいいか。
どうせ修論なんて書けるわけない。
審査会なんて出られるわけもない。
まともな生活に戻るのも今さらだし。
何も未来がないのに、生きていたって無駄。


自分の存在を無視する生活を続けていたある日、突然状況が変わりました。


すべてを認めた日


いつものように大学へ行くのに失敗し、
時間をつぶして家に帰ると、母が待っていました。


「今まで何してたの」

「え、研究室にいたけど」

「嘘言わない。先生から連絡があった」


実家の母へ、「研究室に来ない」と先生から連絡があったため、
慌てて見に来たという。


「何があったの」

「何もないよ」

「連絡しても大丈夫しか言わないから」

「だって大丈夫だもん」

「そうやって・・・」


途切れた言葉。
合わせられなかった視線を戻すと、母は泣いていました。

なんで言ってくれなかったのか。
どうして頼ってくれなかったのか。
なぜ気づいてやれなかったのか。

連絡が返ってくる時間もおかしい、返ってくるメッセージもおかしい。
そう思っていたのにどうして放っておいてしまったのか。


彼女は自分自身を責めていました。
何も悪くないのに。


「何も言えなくてごめん」


そう口にすると、何かがそこで切れたような感覚がありました。

とめどなくあふれてくる涙。
すでにぐしょぐしょに濡れた母の顔が、ゆがんでいきます。

しばらく二人で、声をあげて泣きました。


落ち着いたころに、現状だけを話しました。
大学に行けない、電車に乗れない、全てが怖い。

母は何も言わずに聞いていました。
つたない私の話を聞き終えると、母は口を開きました。

きっかけは何だったのか、どんな経過でこうなったのか。
そんなことは一切聞かずに、一言だけ。


「家に帰ろう、病院に行こう」


そのまま、母は実家近くの大学病院の精神科を予約しました。
紹介状がないと初診料がかかりますといわれ、
そんなのどうでもいいから診てくれと。


2017年、2月。
自分を無視し続けて、半年近くが経っていました。



母に付き添われて病院へと向かい、長い待ち時間を経て、入った診察室。
2人の先生と1人の看護師さんが、穏やかな顔を向けてくれていました。


「どうされましたか」

私の前に座り、声をかけてくれた先生。
答えようとすると声が出ず、涙だけが溢れてきて。

代わりに説明を始めようとした母をそっと止めると、
先生はこう言いました。


「お母さまにはあとからお話を伺います。
 どれだけ時間がかかっても構いません。
 本人の口から困っていることを聞きたい」


私が泣き止むまで待ってくれて。
少しずつ、ゆっくりとしか出てこない言葉を、
動かない頭で必死で繋ぎ合わせて吐き出すことしかできない私の話を、
急かすことなく、さえぎることなく、聞いてくれました。


抑うつ、睡眠障害、パニック。
それから栄養失調と貧血、摂食障害。

あらゆる可能性を考慮して治療をするために、
その場で閉鎖病棟への入院が決まりました。


#3へ続きます。


百華

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