知人の仲良しグループに参加すると、疲れる理由(INFJの場合)
INFJ-Tです。(たまにISFJ(擁護者))
近頃、知人の仲良しグループに呼ばれる機会があり、断りきれずに参加し、ひどく疲れてしまいました。参加したことを酷く後悔したので、なぜ疲れたのかを言語化してみました。
このnoteをお勧めする人
・転職等で慣れない人たちの中に飛び込んだ方
・INFJの思考を知りたい方
そもそもなぜ参加したのか?
心を開ける人が少なく、狭い人間関係になりがちなので、いい機会と捉えて参加しました。
また、単純に誘いを断れませんでした。
紹介してくれた人の気持ちを考えると、紹介するぐらいだから、きっと自分のことを好意的に思ってくれるはず、その気持ちは嬉しいし、期待を裏切りたくないという気持ちがありました。
なぜ疲れるのか?
初対面同士とは違い、グループには出来上がった空気やノリ、それぞれの役割があります。
まずはグループの空気を読み取ることが必要です。その場でどんなノリで話が進むのか、誰がその空気を動かす中心者なのか、それぞれのキャラクターや役割の観察や考察を繰り返し疲弊します。
グループの中には、みんながオープンな性格とは限らず、少なからず自分のグループに新参者が参加することを嫌に思っている人がいるかもしれません。その様子があるかどうかも探してしまいます。
次は、自分がグループに入ったことで元々いたメンバーに嫌な思いやグループの空気を壊さないように、紹介してくれた人の顔に泥を塗らないように、自分の振る舞いを気をつけて、仲良くなれるように、だけど失礼にならないようなラインを模索することで疲弊します。
グループの中には、自分が興味を持てない人、また相手も自分に興味ない人と話すこともあります。場持たせのために質問を捻り出したり、興味のない話を聞く必要があります。
ご飯や飲み物の気遣いもいつも以上に行う必要があります。
気の使えないやつと思われることも、紹介してくれた人の顔に泥を塗るのも嫌なので。
またグループによっては女性として、年下としての役割、無料コンパニオン、無料いじられ役や聞き役等、を求められていると感じることもあります。そのような扱いを受けているにも関わらず世間体を気にして笑顔を作っている自分が情けなくなり、嫌になります。
グループの中には慣れない自分に気を遣ってくれている人がいます。
慣れていない雰囲気や楽しくない雰囲気を隠そうとしてるにも関わらず、
伝わってしまったのが相手に申し訳なくて、悔しくて、自分が嫌になります。
参加後もあの時ああすれば、こうすればよかったと後悔し続けます。
言語化したことで感じたこと
知人の知り合いに会う行為は、読み取ること、考えることや、気を使うことが多く、疲労して然るべき、断ってもよかったな、、と思いました。