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【節子】火垂るの墓【清太】

ご覧頂きありがとうございます(^^)/

引き続きご無沙汰しております<(_ _)>
いつものごとく、
約1週間ぶりの投稿でございます。笑

皆さま、火垂るの墓で
ウルッと来るポイントはどこでしょうか?

私は最初の5分と最後の10分です!ドヤァ

最初の数分
⇒節子が出現する辺り
最後の10分
⇒節子が「兄ちゃんおおきに」と言って亡くなり、横穴で元気だった節子が描写される辺り

私と同じポイントだった方、
是非今度飲みに行きましょう←

前置きが長くなり申し訳ございません💦
さて今回の内容ですが、
下記通り記載させていただきました!

――――――――――――――
目次

  ①火垂るの墓とは

  ②火垂るの墓の口コミ

  ③火垂るの墓の感想
――――――――――――――

ところで皆さま、
8/22・9/21は何の日かご存じでしょうか

そう、火垂るの墓に登場する
節子(享年4歳)
清太(享年14歳)

の命日でございますね

毎年この日に火垂るの墓を鑑賞するようにしております。今年からですけど!笑
キッカケは特にないです(´-ω-`)



と言いたいところですが、
「社会とのつながり」
を、子供を持つ身として改めて認識する必要があることを痛感したため、見始めようと思った次第でございます

意外とちゃんとした理由です、はい。笑

では早速内容に移りましょう!

※※※※※※※※※※
9/16よりNetflixで配信開始なんですね!
私、これまたすごいタイミングで記事の予告してて笑います。笑
(こんなとこで運使ってどないすんねん…汗)
https://news.yahoo.co.jp/articles/6b2cac992eda0659954fcd46aa1d6181cb6176b2


①火垂るの墓とは

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E5%9E%82%E3%82%8B%E3%81%AE%E5%A2%93

はい、言わずと知れた不朽の名作ですね
そして実はジブリ作品で、あのトットロと同時放映だったという事も有名な話です

トットロ ⇒ 火垂るの墓 で連続鑑賞をした(させられた?)皆さまの情緒はいったいどうなっていたのか、、

というのは置いといて、
少し内容に触れておきます

ベースは原作者である「野坂昭如」さんの実体験で、それに一部脚色・肉付けがされている作品です

あらすじ/ネタバレはWikiを参照頂くとして、

本作品では4歳の妹である節子を、14歳の兄である清太が試行錯誤の上世話をするも結果的に亡くならせてしまいます

一方、実体験では妹は1歳ともっと若く、また兄である野坂昭如さんはお世話そっちのけで、何なら自分を最優先にして妹を亡くしている、との事

手厚くお世話をしなかった自身の後悔と、妹への罪滅ぼし的な側面もあってか
この火垂るの墓という作品が出来上がったようですね


また映画を手掛けた監督「高畑勲」さんはインタビューで下記通り回答されていたようです(一部抜粋)
――――――――――――――――――
「清太と節子は”家庭生活”には成功するけれど、”社会生活”に失敗するんですね。いや、失敗するのじゃなくて、徹底して社会生活を拒否するわけです。社会生活ぬきの家庭を築きたかった。まわりの大人たちは冷たかったかもしれない。しかし、清太の方も人とのつながりを積極的に求めるどころか、次々とその機会を捨てていきます。お向かいの娘に、『うちらも2階の教室やからけえへん?』と誘われて『ぼくらあとでいきますさかい』と断り、学校へも行かず、先生にも相談しない、置かしてもらった親類の未亡人はいやみを次々いい放つけれど、あの時代、未亡人のいうことぐらい特に冷酷でもなんでもなかった。清太はそれを我慢しない。壕に移り住むことを決断して清太はいいます。『ここやったら誰もけえへんし、節子とふたりだけで好きに出来るよ。』そして無心に”純粋の家庭”を築こうとする。そんなことが可能か、可能でないから清太は節子を死なせてしまう。しかし私たちにそれを批判できるでしょうか。 心情的にはべつに現代の青少年たちとだけ類似があるのじゃないと思うんです。マイホームとか核家族とか、個室やオートバイを子どもに与えるとか、おとなもみんな清太になりたがり、自分の子どもが清太的になることを理解し認めているんじゃないんですか。社会生活はわずらわしいことばかり、出来るなら気を許せない人づきあいは避けたい、自分だけの世界に閉じこもりたい、それが現代です。それがある程度可能なんですね。ウォークマン、ステレオ、パソコン、みんなそれを象徴しているような気がします。清太の心情は痛いほどわかるはずだと思います。 でも結局、実のところ、類似というのはこの出発点の心情だけかもしれないんです。清太と節子が生きた時代というのは、隣組とか、愛国婦人会、産業報国会、それにもちろん軍隊、内務班、分列行進歩調とれ! と、ことごとに抑圧的な集団主義がとられていました。制服はもちろん、登下校も集団で班を作っていく。社会生活の中でも最悪最低の”全体主義”がはびこっていたんです。清太はそういうところから自らを解き放つわけでしょう。”純粋の家庭”を築く、というのはおそろしく反時代的な行為ですよね。現代の青少年が、私たちおとなが、心情的に清太をわかりやすいのは時代の方が逆転したせいなんです。こっちは時代の流れに乗っているにすぎない。もし再び時代が逆転したとしたら、果して私たちは、いま清太に持てるような心情を保ち続けられるでしょうか。全体主義に押し流されないで済むのでしょうか。清太になるどころか、未亡人以上に清太を指弾することにはならないでしょうか、ぼくはおそろしい気がします」
――――――――――――――――――



まとめると、本作品は
「家族愛 x 社会性」をテーマにした内容で、
反戦を主張する作品でもないと言えます


②火垂るの墓の口コミ

評価はざっくり下記4つと見受けられました
※ネット/SNS/知恵袋等で情報収集の上、独断と偏見で推測も交えた上で分類致しました。笑

〇戦争が悪い!
 年齢層:子供∼中学生
 論 点:戦争が無ければこうはならなかった
〇おばさんが悪い!
 年齢層:子供∼小学生
 論 点:清太と節子がかわいそう!
〇清太が悪い!
 年齢層:中学生∼大人
 論 点:いや働け。そのくらい我慢しろ
〇節子がかわいそう!
 年齢層:全世代(特に子持ち)
 論 点:ただの被害者。食べさせてあげたい

ここですごく感じたのは、
「年齢/ステージで評価が極端に分かれる」
ということです
かくいう私も、後ほど触れますが小中高大以降で見るたびに評価が変わってきました。。。笑

そして話はそれますが、Youtubeにある岡田斗司夫さんの解説、すごいですね

何度も本作品見てましたが、気が付かなかった点がいくつもありました
ただの気の良いおっさんだと侮ってましたスミマセン(´-ω-`)笑

③火垂るの墓の感想

私の評価、ざっくり下記通り推移しております

〇幼少期(∼小学6年生)
戦争はよくない!
おばさんも酷い! 

〇青年期(中学生∼大学生)
え、清太さん酷くない?!

〇中年期(∼現在)←New!!
いやむしろ誰も悪くない
ただひたすらに節子がかわいそう

という感じです。笑


直近の感想は「誰も悪くない」としてますが、
とはいえ「もう少しこうするべきだった」と思う点がいくつかありますので、
「A.西宮のおばさんについて」
「B.清太について」
の良くなかった点を箇条書きで、
そして最後にどうあるべきだったかを分析してみました。笑

A.西宮のおばさんについて
・正論で発破をかけているように見えるが、正論を盾に感情をぶつけて委縮させているだけ (一部セリフ抜粋、下の方に引用しておきます)
⇒理詰めでボコってくるパワハラ上司さん?

・家の無くなった4歳の節子が、「おばさんの家に身を寄せたくない」という反応、また身を寄せた後も、帰るべき家がないにも関わらず「おばさんの家いやや」という反応を示すレベルの人間
⇒清太・節子を思って強く当たっているのであれば、少なくとも節子はある程度懐いていてもおかしくない。そもそも人間性に難あり?

・家と母親を失い不安になって夜泣きしている4歳児に憤慨、14歳の清太に「泣かさんようにしたらどないやの!」と怒鳴りこむ
⇒母親の死につき、節子は後に「おばさんから聞いた」と言っている為、夜泣き前には既に知っていたと推測。おばさん自身も娘を育てている経験がありながらその対応は無いでしょうに

・諸々重なって、清太と節子が家の居場所がなくなり防空壕である横穴への避難/逃避が増えた。この状況を見て「横穴に住んどったらええのに」のセリフを投げかける
⇒反論の余地が無い状況に相手を追い込み「辞めてしまえ」と言っちゃうパワハラ上司さん?


そしてさらに気になったのは
「お母ちゃんまたきつい事言うたんちゃうの?」
という娘さん(おばさん側)のセリフですね

おばさんの正当性が非常に高く納得感があれば
「確かにあの子たちも∼…」
「もうちょっと〇〇があれば…」
もしくは
「そうなんや∼」
というセリフが来ますよね、普通

時代背景から、強めの言葉が出てしまうことは良くあったと多方面で見受けられましたが、それを差し引いても「不適切な言葉」をおばさんは投げていたといっても過言ではないですよね

そして、清太/節子が「空襲に遭ったら置いて貰うことになっていた」状況でとるべき言動や行動ではないですよね

知らんけど

結論、おばさんは
「清太への適切な指導・近隣コミュニティへの斡旋等を、適切な態度/表現をもって行うべきであった」
と痛感しました(謎の上から目線)

おばさんの言動含め
セリフ一覧はこちらからどうぞ
http://saikado.web.fc2.com/ikuma_saki_geki/h-haka/hotaru.html

【一部抜粋】
「ええ加減にしとき!うちにおるもんは昼かて雑炊や」
「お国のために働いてる人らの弁当と一日中、ブラブラしとるあんたらと、なんで同じや思うの」
「清太さんな、あんたもう大きいねんから助け合いいう事考えてくれな」
「あんたらはお米ちっとも出さんと、それでご飯食べたい言うてもそらいけませんよ。通りません」
「ちょっと続けて御飯食べさせたったら、まあ口が肥えてしまいよってからに!」
「なんや、そんならおばさんがズルイことしてるいうの。えらいこというねえ」
「みなしご二人あずかたって、そう言われたら世話無いわ」
「よろし、うちとあんたらと御飯別々にしましょ。それやったら文句ないでしょ」
「それでな清太さん、あんたとこ東京にも親戚いてるんでしょ。お母さんの実家でなんやらいう人おってやないの?手紙出したらどう?」
「この西宮かていつ空襲されるかわからんよ」


B.清太について
・仲の良いまたは中立な大人達に対しては、及第点レベルだが挨拶などが出来ているが、おばさんに対しては今一つ
⇒節子と共におばさんが苦手なのはわかるし、思春期ど真ん中で価値観と行動をいきなり変えるのは難しいことも理解するが、もう少し頑張れたやろ

・先の目線/視野の広さが著しく欠落しており、また全てにおいて自分目線になっている
⇒にもかかわらず謎の行動力がある。ちゃんとハマれば問題なく生き延びた可能性はあるが、不確定要素しかない戦時中なので、「今まで発生していたイレギュラー」をしっかりと受け止めることが出来ていれば、少なくとも先に備えた対策は打てたでしょう
 あと要所要所で「腹減った…」ちゃうねん。もっと大事な事あるやろがい

・頑固頑固頑固頑固アンド頑固
⇒おばさん以外にも「農家のおじさん」「交番のおじさん」「お医者さん」「銀行にいた大人たち」との交流が少なからず存在
 節子が置かれている状況もちゃんと理解していたら「自分の進んでいる方向/決断」を省みて助けを請うことはできたでしょう
 最後に「お金をおろして節子とずっと居る」という決断をしたのは評価できるが、遅すぎなのよアナタ

交番のおじさんに、恥を忍んで助けを請うていたらなぁ…
そこから火事場泥棒が始まって情緒壊れちゃったし、やっぱりそこが最後の分水嶺やったんだろうなぁ…

とはいえ、上記諸々の間違いに加えて
「14歳のボンボンで世間知らず」
「身の回りに困ることが無かった」
「父親が海軍(の、お偉いさん?)」
「家、母をほぼ同時期に無くし、父も遠方」
「4歳の節子と行動」
という点を鑑みると、まぁしゃあないよな、、という所か

ネットでは
〇はだしのゲンの主人公との比較
〇戦時中は子供でも人間的にも発達していた
といった意見が有ったりしますが、

まず、はだしのゲンは主人公がおかしいです
小2、小4とかで大人にケンカで勝てる時点で脚色がされてます
ましてや貧乏家庭やで?筋肉も有らへんわ
それと比較するのはナンセンスでしょう…

あと戦時中という特殊背景より、周りの子供たちと比較して
「清太は人間的に未熟だった」という意見もありますね
いやこれはホンマにそう!笑
やけどボンボンの世間知らずなら、当時でも現代でもこんなものでしょう

知らんけど

結論、清太は
「節子の体力、体調、精神状態への理解をもう少し深め、自身の優先順位を少し下げるべきだった」
と痛感しました(謎の上から目線 2回目)



話があっちこっちに行ってしまいましたが、
私はこの火垂るの墓を鑑賞して感じた事がございます

それは
「社会との関係を持つ重要性」
です

思い返すと、社会との関係を持てば
「状況が改善した/悪化しなかった」
場面ばかりです
・避難先の学校で大人たちに相談していれば
・おばさんと正面切って喧嘩/相談していれば
・働かずとも、その努力だけでもしていれば
・近隣の大人/同世代と関係性を作っていたら
・交番のおじさんに泣きついていれば

他にもあると思いますが、実際自分が清太と同じ状況になったら、これらの事を実行できるでしょうか
また極限状態の中で、思いつくことができるでしょうか

…おそらく問題なく実行/思いつくことはできるのでしょうけど、でも現代で衣食住と安全が確保されている日本で、そのような事を安易に、楽観的に考える事だけはしたくないです

清太が最後、発展した三ノ宮の街を見下ろす直前に画面のこちら側を見ますよね
オフィシャルな説明はなかったと思いますが、
そこに込められたメッセージは
「社会から逃げた事、それにより社会から取り残されてしまった」
「自分はそれを後悔し、成仏できない」
「その一方で社会全体は力強く発展し前進している」

だと理解しました

※そしてあえて「節子が寝てから」こちらに目線を移したのは、
 ”節子は4歳児の責務を全うしており後悔が無い存在”
 その業は自分のみが負うべきだと考えているからと勝手に推測←


世界的に見ても裕福?で安全な日本で住んでいる限り、
よほどのことが無い限りは社会との関係が遮断されることは無いと思います

ただし、昨今の世界情勢を踏まえると今後どのような事が起こるか、
また子供たちの世代にはどのような社会になっているかは未知数です

なので、少なくとも自分の家族については、
清太を反面教師としながら
社会と良い湯加減の関係性を維持し続けれるように立ち振る舞って行きたいなと思います

という感じで終わりにしておきます!笑

ちょっと長くなりましたね、スミマセン<(_ _)>

来週の更新は「子供の名前」です!

…そろそろ二人目生まれるんです(´-ω-`)
名前を考える傍らで、
・どのような世論があるのか
・どのような背景で決める傾向があるのか
等をゆる∼く調べていきます‼

乞うご期待ください<(_ _)>

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