気品が屹立する日〜PrincipleとDischipline
今日はiruという会場でおこなわれた『居る』というイベントへ。
場所は一橋学園だ。けっこう東京としては奥まったところにあるし、東東京からは正反対のところだ。
東東京の人間というのはまず錦糸町で1個のクッション(心の関所)があり、渋谷、新宿、池袋で2個目があり、中野で3個めがあり、吉祥寺ぐらいが世界の果て、という感じでその先は旅行とか遠足気分である。
うわ~こんなとこ初めてきた~となるところが、なんと以前一橋学園でライヴをやったことがあったのをギリギリ思い出した。
ベトナムカフェnguyen van kafe(今はない)おだまき工房(今もある)でそれぞれ違うギター弾き語りのシンガーとのデュオ演奏だった。
場所の位置的にけっこう変わったとこでやったな、というのはこの一橋学園と、埼玉県行田の美容室でお客さんが美容室の椅子に座って聴くというライヴをした時と、常総鉄道守谷駅から2個目の戸頭というところの「はこカフェ」という所で演奏した時だ。その時に常総鉄道という電車に初めて乗ったのだが、ディーゼルに乗ったのはひさしぶりだったからシビレタ。
なぜ一橋学園という遠い所でライヴをしたかというと以前鷹の台に北欧風カフェがあり、そこで定期的にピアノ演奏をしていたので通っていたからなのだ。お客さんは有機栽培の野菜とか天然酵母のパンとかタロットとかパワーストーンとかピラティスとかジョアン・ジルベルトとかが好きなオシャレ系の人と武蔵野美術大学の学生さんがたくさんいた。お客さんの服もお店の内装も今では細部が思い出せず「木洩れ日とベージュ風」に記憶が統一されてしまっている。
木洩れ日のさす北欧カフェでのピアノ演奏。けっこう音響的にもよい素敵なところだった。
東東京も様々な音楽イベントが盛んだが、西東京も中央線沿線だけでなく色々と音楽イベントがある。
上述した一橋学園でのライヴも鷹の台や小平を中心としたそのシリーズの一貫だったと記憶する。
そんな中『杉山清貴&オメガトライブ』の杉山清貴さんがいきなり控え室にいて、「僕次なんです」と弾き語りソロの準備をしていてわりと驚いた。
テレビで見た人は見た人なのだが、中学の頃は、ヘヴィメタルやハードコアやスラッシュメタルのバンドをやっていた関係で仲間からの圧力がすごく、マイケル・ジャクソンやプリンスなどは軟弱とされご法度だった。日本の歌謡曲などもっての他である。なのでみんな学年が上になっていき(大人になり)規制がゆるくなり始めて「渡辺美里が大好きで聴きながら泣いたりしている」と公言できた時はベルリンの壁が崩壊した時の東ヨーロッパの人のような解放感があった。
当然『杉山清貴&オメガトライブ』もあまり聴いたことがない。なので杉山さんに「大好きでよく聴いてました!」と言うことができず、「お会いできて光栄です!」という聴いてるとか聴いてないとかには言及しない、上手いフレーズでその場を切り抜けた。
今日のiruは、肉体によるコンセプチュアルアート?みたいなものだろうか?即興演奏の時にダンサーやパフォーマーが動いてステージの外のどっかいっちゃう、みたいなのはかなりたくさんやっているのでそういうのだろうか?こっち方面は疎いのでとりあえず見てみないとわからない。
自分の所属していたグループでも足立智美さん監修の集団即興を魚市場やボロボロの古民家でおこなったことはあった。
いずれにせよ田上さんの人間離れしたパフォーマンスが見れることは保証されているのだから、遠足にも行こうというものである。
配布されたプログラムを見ると、鈴木ユキオさんという人の名前が出演者の今後の予定コーナーにある。これはコンテの人だよな、と明らかに知っている。聞いたことがある。だが、思いだせない。男性ダンサーで共演したことがあるのは川口隆夫さんとジャワ舞踊の佐久間新さんだけなので共演したことはないはずだ。しかもFacebookを見たら友達になっているではないか!(驚)あせってツイッターをログる。出てきた。色々な楽器をつくるアーティスト藤田陽介さんの家に遊びに行った時に会って話していたのだ。コンテの人って気難しそうだなとビビっていたがえらくフレンドリーな人だったのをはっきり思い出した。藤田さんの家はかなり田舎だったが、山川冬樹さんや鈴木ユキオさんなど色々な人が来て交流するという面白い空間だった。ただ山の中のDIY気味の家で「大雨とか土砂崩れとかきたらヤバいので山の中雰囲気いいんすけどまた移動すると思います」と言っていたので今は引っ越していると思う。
ダンサーとの関わりということで言うと自分の場合まずサンバダンサーだ。と言ってもこれは演奏での関わりではなく、完全にチームの同僚で、男勝りの戦友と言った関係だ。ビールの飲みっぷりも「プハー!もう一杯!」みたいな感じですがすがしい。あとサンバパレードの時は、「水分渡すスタッフ」「タイムキープするスタッフ」のような位置で(けっこう高性能な)カメラを持ったお客さんが「サンバダンサーに近づきすぎないようにガードする係」みたいなのもあり、それもけっこうやった。
ちゃんとした演奏で関わるという意味ではベリーダンサーが一番多いのだが、ディープで濃すぎるのでここでは割愛する。
コンテンポラリーダンサーとの関わりは上記のような濃密な関わりではないのだが、少しある。
一番最近共演したダンサーはリハーサルの時に「昨日生牡蠣大量に食べてあたってトイレにこもってましたが、今日はもうだいじょうぶです!」と言ってバリバリ踊っていて驚かされた。
リハや本番の前に生牡蠣を食べることはあまりないと思うのだが。
後で聞いたところ、世の中で一番好きな食べ物が生牡蠣だそうで、納得すると同時に色々大変だろうなと思った。
これまたダンスパフォーマンスと関係ない部分だが、コンテンポラリーダンサーの人がリハの後、居酒屋ヘ行きましょう、と言う。当たり障りのない話しをしていると「Aさん(知り合いの男性ヴォーカリスト)って彼女いるんですかね?」と質問してきた。Aさんは、自分が紹介したわけではないが、この前自分の企画で知り合ったBさん(別の女性ダンサー)といい雰囲気になってきており間接的には関わっていたので「いや〜どうなんですかね?いてもおかしくないっすね」と目を泳がせながらお茶をにごした。その後は「今度遠回しに聞いておいてもらえます?」とか「うわぁ〜ん」とか半泣きになって突っ伏したりはじめた。けっこう泥酔している。これはわりとメンドイ展開だ。ひたすら水を飲ませたりひたすら関係ない話しをしたり、電車だいじょうぶですか、と言って正気を復活させて自力で帰っていただいた。その後しばらくしてそのダンサーさんは全然違う人とうまくやっているのをSNSで見てほっこりした。
というような話しだけでなく、ちゃんとした思い出もある。横浜赤レンガ倉庫でのダンスイベントにコンテンポラリーダンサーとガチデュオで出演をした。この横浜赤レンガ倉庫、改修設計した新居千秋さんという建築家が、自分の名前の名付け親のような位置の人だというつながりがある。
そのようなつながりのある、尊敬している人の建築した場所で演奏できるということもとてもうれしかった。
その時組んだ方はお茶の水女子大学の関係の方だった。お茶の水女子大学はコンテンポラリーダンスをけっこうやっているらしく、その関係で当時その「お茶の水女子大学のコンテンポラリーダンスの人たち」と少し関わっていた。
その時組んだ人は、カンパニーのコレオグラファーをやっているという人で、その業界のことはよくわからないのだが、上手くて偉い、という位置の人らしいというのはわかった。
その時は会場にピアノがないのでたしかテノリオン、カオシレーター、カオスパッド、ワウペダル、ミキサー、アンプという装備だったと思う。気分はなんちゃってカールステン・ニコライだ。
さて、振り付けはガチで決まっているので、慣れ親しんでいる「サックスとのフリー即興デュオ」のようにはいかない。リハの時に振り付けの場面転換の分数と秒数をメモり、それをエクセルに入れ込み、その表を暗記し、当日はストップウォッチ命!で演奏に臨んだ。準備に時間をかけた分、本番はそのままやるだけだったのでうまくいった。
さて、本番の内容と関係ない話しだが、こういう業界は、「宝塚味」がけっこう入る。音楽業界とはかなりムードが違う。
コレオグラファーさん「オラ佐藤!井上!それ!すぐやれ!」佐藤さん井上さん「了解です!(タタタッ!)」みたいなのをチラチラ横目で見ていた。
さらに昔クラシックバレエのピアノ、というのも一時期やっていたことがある。こちらもまたコーチによる罵倒としごきとパワハラが横溢するピュアな体育会系の世界だ。
だがバレリーナたちは「こんなもんだよな」と思っているのか、はたまたこんなしごきぐらいで脱落してては「上にのしあがれない」とナチュラルに思っているのか、泣きながら踊っているのだが次の瞬間にはケロッとしている。
人間というのはたとえひどい状況であったとしても「だいたいこんなもんである」とか「レギュラーになるためには一定期間修行を受けるものである」と認識していると平気なのだな、という認知と行動の不可思議を理不尽なしごきを横目に眺めながら味わっていた。
世の中には銀河の星のように無数の業界があり、このクラシックバレエレッスンピアノという業界も、かすかにだが存在する。自分はそうではなかったが、バレエの発表会に行くとずっとバレエレッスンピアノやってます、という人もいた。
バレエレッスンピアノというのは、タンジュ等の基本動作をバーレッスンでおこなう際、それの音楽をピアノでつけたり、チャイコフスキーのバレエ作品とかのオケパートをまんま弾いたりする。
バーレッスンは曲だろうが即興だろうが、踊りにあっていればよい。
逆に、踊りにあっていなければどんなにうまくてもダメだ。この踊りならショパンのマズルカあいそうだな〜と思って弾いたら「ダメ!違う!」と鬼コーチがピアノに寄ってきて「こんな感じ!」とワルツ風な「何か」をピアノでぶったたいていく。それでなるほどとわかり、CとかGとかの「コード一発」をぶったたいてくれたニュアンスで弾く。すると「そうそう!それよ!!」とお許しが出る。要するに典型的な口伝の世界である。
このように「ウチはあわせ職人やさかいあわせてなんぼや!とにかくあわせさせてもらいまっせ!」という感じで年中無休で踊りの動きにあわせていくのだが「レ・シルフィード」みたいな時にはさすがに若干葛藤が発生する。
「レ・シルフィード」というのはショパンのピアノ曲を元につくったバレエ作品だ。
どういうことが起こるかというとバレエなので「踊りにあわせる」が優先されるので、踊りのステップにあわせてショパンの曲を弾かねばならない。
ショパンと言えば絶対音楽の頂点みたいな音楽だ。音楽そのもので、完全に芸術になっている、というかならねばならない。一流の巨匠はこういう風にかっちょよく弾いている、というのがあり、みなそれを目指してピアニストは練習する。つまり目標とする芸術的ピアノ演奏というものがすでに確立されているのだ。
ところが、ショパンをステップにあわせて弾く、となると慣れていない小学生が発表会に弾くような気の抜けたテンポでワルツを弾くことになる。またショパンの原曲ではこういうルバートをするのが作法である、というところでまったくルバートしなかったり、ワルツでは1拍目にアクセントがあるとダサイのだが、1拍目にアクセントをつけて奏したりもする。これはなかなかコタエタ。
クラシックの名曲が時にコンビニでへんてこりんなアレンジで鳴っていたり、自分自身もジャズ編曲で演奏したりするのだが、特に何も感じたことはないし、わりとそういうのをまったく気にしないタイプだと思う。だがなぜかこの時に限ってはショパンだからだろうか「他の芸術によって元々の芸術がデフォルメされる」瞬間の「変味」の強烈さに衝撃を受けた。
あとこのバレエの教室では休憩時用におやつがもらえたのだが、その鬼コーチがなぜかあんこ系が好きらしくて、饅頭とか大福とかどら焼きとかの和菓子系をくれた。とにかくあんことか和菓子が苦手でお菓子と言えば生クリームとカスタードのダブルシュークリームとかエクレアとかミルクレープがいいという人間にこれはけっこうきつかった。最初の頃は新参者なので、当然好きとか嫌いとか言えず「ありがとうございます!」と受け取り、そのまま数か月たつと今度は今さら「実は和菓子嫌いでして」と言えず、そのうちカバンに入れて持ち帰り次の日まわりの人に配布するようになった。これもまたショパンと同様、お菓子自体は甘いが苦い思い出だ。
もうひとつバレエの時の印象的な風景がある。(これだけ特殊な世界だと色々印象的な風景がある)
時々、発表会に向けての重要なタイミングとかになると、そのいつもの女性鬼コーチではない「現役でバリバリ活躍している男性バレリーナの特別講師」という先生が登場する。
こういう業界での男性特別講師というのは、ほぼ王子様というか絶対君主というかアイドルというかそれが全部まじったような感じですごい。
生徒さんはキラキラビームで注視しながらその先生がクルクルまわるたびに、比喩表現ではなくキャ~!!と実際に発声していたり、文字通りのカリスマという感じで、漫画みたいに後頭部からキラキラしたオーラが出ていた。
そして発表会のキャスト?(と言うのだろうか)ももちろんその人が選ぶのである。
憧憬のカリスマに選ばれる恍惚に向けて、しごきに耐え続ける、なんだかすごい景色だ。
ただもしこういう王子様が大きい劇団とか、芸能界とか、カンパニーとかの上の人とかになってすべての決定をおこなう、とかなるとニュースで見るようなパワハラ事件も起こるのかな~、と思いちょっと空恐ろしいというか複雑な気持ちにもなった。
というわけで今日の会場iruに話しをもどしたい。こういう初めての場所での馴染みのないイベントの場合、まず会場に行って知っている人がいる、ということはほぼないし、システムや作法や業界の持つ雰囲気もわからない。
それもまたうれしかった。
自分は生来のアウェーフェチで、緊張をともなう、自分だけがストレンジャーという状況に快感を感じるのだ。
例えばカルチャーセンター等の1年間コースみたいなのがあったとする。
そこで場も完全にあったまり、先生も生徒さんを苗字ではなく名前で呼びはじめたりする3ヶ月目ぐらいの中途半端な所で「すいません、テキストまだ全部揃ってないんすけど〜」なんて言って冷たい視線をビンビンに浴びながら参加するなんていうのは最高だ。
今日もやはり実際知ってる人も誰もおらず、田上さんのイベントはいつもそうなのだが、シ~ンとして緊張感に包まれていた。よしよし。
そして多分そうだろうな、と思っていたのだが、会場は半野外ということで冷房はない状態でかなり暑かった。
こういう気象状況アウェーというのもよい。後から思い出すと印象に残っているのは、こういう気象状況アウェーなイベントだ。
この暑さ、デジャヴュ感があるなと思ったのだが、サウナだった。
そう思うと、入場料にサウナ料も入っている、なんてリーズナブルなイベントだと少し感動してしまった。
イベントは文字通り4人の表現者がそこに居るというイベントだった。
田上さんはと言えば相変わらずの存在感と技を所せましと爆発させていた。
即興パフォーマンスという曖昧な表現ジャンルでも超絶技巧というのは存在している。
この日の田上さんはその「即興パフォーマンスにおける超絶技巧」をサラリと表現していた。このサラリという所に田上碧の生来の気品が見てとれた。
こういうのは、ナチュラルボーンエンターテイナー田上碧の側面と違い、わかる人にしかわからないという側面である。
焼き物とか壺を見て「ふ~む寛永や慶安の頃のものですな。見事じゃ!」な世界に近い。
わかる人にしかわからないという側面であるがゆえにその普遍性と鋭さは天井無しだ。
こういう鋭さというのは、簡単に生み出せるものではないし、さきほどの気品のように生来のものでもない。
それは絶え間ない鍛錬の賜物なのだ。
この鍛錬という田上碧の特徴をあらわすキーワードにPrincipleとDischiplineという2つのワードがある。
Principleは原理・原則というような意味で、自ら設定した原理・原則に則って行動を統制するという意を含む。
戦後の日本の礎を築いた白洲次郎がプリンシプルプリンシプルとよく言っていて、比較的知られるようになったワードだ。
白洲次郎は、自分で設定したPrincipleをとにかく順守し、そのPrincipleを設定することによって到達しうる秩序ある世界の創生をコントロールしようとしていたように見える。
私情を入れない世界、ギリシャ哲学のピュシスのような世界だ。
ギリシャ時代のポリスに秩序をもたらすかのように現代日本の都市にPrincipleをもちこむことで秩序に近づいていった。
田上さんも、白洲次郎のようなPrincipleの保持が見受けられる。
同じく自らに言語化した原理・原則を課し、秩序に一歩一歩近づいていくのだが、田上さんの場合は白洲次郎のように戦後日本ではない。己の作品の達成や完成度強化のためにその原理・原則を稼働させるのだ。
Principleにおける原理・原則は、おもに思想や方向性、に適用されるが、それを肉体に特化したワードがDischiplineである。
これは肉体的鍛錬・訓練を意味する言葉なのだが、PracticeやTrainingというワードとは違い、負荷をともなう苦行・修行というニュアンスが「強く」含まれる。
なので基本日常的には出てくる単語ではない。
禁欲的な修行僧の修行とか、米軍のブートキャンプとか、わりとおだやかではないシチュエーションで登場することが多い。
そのDischiplineというワードはこれまたPrincipleとともに田上さんの大好物だ。
田上さんは、気合が入ってくるととにかく自らの肉体に負荷をかけDischiplineしてしまうのである。
それも自らが設定したPrincipleによって。
そうして1種サイボーグ化された肉体を持って様々な表現をこなす。
田上碧芸術の場合、サイボーグ化された肉体というのは必須条件なのだ。
田上さんのイベントで受ける1種の爽快感というのは格闘技の試合を見ている時の爽快感に近い。
それもPrincipleとDischiplineの2本柱に支えられた強靭な構築物があるからこその爽快感なのである。
そして今回その鍛錬による構築物を気品を持ってサラリと見せているということに驚きを覚えた。
これは単に自分が初めて気づいたというだけで、以前からそうだったのだと思う。
すかさず田上碧キーワード集に「気品」という項目を付け加えた。