治る依存症と治らない依存症

煙草を嗜む知り合ひ(既婚男性)が、こんな話をしてくれました。

結婚して、すぐ分譲マンションで暮らし始めた。
さうしたら、先づ、自分の部屋でしか煙草が吸えなくなった。奥さまが他の部屋に煙草の匂ひが着く、と嫌がったから。嫌がることはしたくない。

子供が生まれてからは、奥さんに、ベランダに出て吸ってねと言はれて、真夏は裸になって、真冬はダウンコートを着て、ベランダで一服してた。
何年かしたら、マンションの掲示板に、
ベランダから煙が隣近所に流れるからベランダでの喫煙はご遠慮ください
といふ紙が貼られた。
マンションを出て、路上で吸ふことにした。
その人のマンションは山の裾にあって、夏はひどく暑く、冬は雪が舞ふ。だから、真夏は裸は無理だが、なるべく薄着して、路上で煙草を吸った。真冬は、やはり登山も出来る本格的防寒ダウンコートを着て。
さうしてゐたら、近隣のマンションから、路上で煙草を吸はれると煙が流れてくるからやめてくれと、管理人に苦情がきた。
路上喫煙禁止区域ではないから法的には、その苦情に従ふ義務は無い。
無いのだが、なんだかイヤになって、煙草をやめることにしたさうだ。

やめたら、やめれた。
奥さまも大喜びなので、その人は、もう二度と吸はないだらうとご自分でもおっしゃってました。

喫煙に対しては風当たりが強いし、何より健康にわるいわるいと医者も騒ぐから、やめたっていふ人、わたしのまはりにも、よくゐます。

煙草は、やめたら、やめられる、みたいね。
わたしに話をしてくれた方は、中学生のときから吸ってて、自分でも煙草はやめられないと思ってたみたい。
でも、奥さまがいやがる、子供によくない、近所から苦情が来るといふ理由が重なると、それらを動機にしてやめることができだ。
やめたら、やめられた。
今はもう吸いたくないさうです。

煙草も中毒するって言ふけど、
やめたらやめられる
要らなくなる
といふその点が、性依存症やアルコール依存症とは、本質的に違ふんでせうね。

性依存症やアルコール依存症は治らないけど、煙草は治る、ってことですね。

治るといふのは、無くても生きていけるやうになること。
アルコールは、いったん中毒すると、無いと生きていけない。
わたしみたいな真性マゾの性依存症も同じ。
緊縛と鞭が無いと生きていけない。
自分の意志では、絶対やめられない。

本格的にアルコール中毒になってから、それでも、お酒をやめた人は、実は、やめたんぢゃなくて、お酒を手に入れられないやうな環境に自分を置いてるのだと聞いたことがあります。
やめてもお酒は飲みたくて飲みたくてたまらないんださうです。
その感じ、性依存症と同じだなって感じます。

また緊縛されたり鞭打ちされたら、わたしはもう死ぬかも。身体が、わたしが求める本格的な責めにはもう全然ついていけない。もともと虚弱体質で、いまも男にしては細すぎて、体力も無い。
でも、して欲しい。

こんなわたし、自分を血を吐きながら、まだお酒を飲むっていふアル中の人みたいって思ひます。

でも、SMはもう出来ません。
やめられないけど、出来ないのです。
サドのご主人さまである妻さまにSMを禁止されました。心身ともに妻さまのどれいの、真性マゾのわたし、選択の余地はありません。

問題は、緊縛と鞭が無いと、そのままだと生ける屍、歩く死人になっちゃふこと。
心に穴が空いてる。

といふか、元々、心に穴があったから真性(遊びや趣味のSMぢゃなくてホンモノの)マゾになったんだと思ひます。
だから、何か、この心の穴に埋めるもの、ゾンビになってるわたしを蘇生させるものが必要。
それは、恥ずかしいけど、たぶん、人のためとか世の中のために何かすることぢゃないかとわたしは感じてます。
大袈裟なことではなくて、なんでもいいから、人が少しでも幸福になることや、ちょっと苦痛や不快を軽くしてあげられるやうなこと、あったら、やってみる。
(もちろん、利他行為をするのはわたしのためだから本質的は利己的です)

たぶん、アルコール中毒の人も同じやうなことを考へて、同じことを試みてる、みたい。
禁酒会みたいな集まりは、たいてい、社会奉仕活動もしてるから。

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