家族介護
※本コラムは、2022/8/1に株式会社ジャストのコーポレートサイトへ投稿されたコラムの再掲となります。
家族介護って大変。
想像以上に。
私の人生の中の大きな出来事と言えば"家族介護"だ。
母が病気だったため、私が小学生から中学生までの間は入退院の繰り返し。中学からは自宅での家族介護が始まった。
母は、乳がんを患い、私が小学生の頃から入院、治療を繰り返していた。
手術をしたが転移があり、下半身不随に。車椅子での生活となり、要介護3の認定を受ける。
当時は、父、高校生の兄、中学生の私の家族3人で母の介護に務めていました。時にはヘルパーさんなど周りの方に支援していただきながら。しかし、当時の私は精神的にも未熟で、母のことは勿論、家族のこと、自分自身のことすべてにおいて周りが見えておらず、自分のことで手一杯な日々を過していました。
母は入退院を繰り返しながらも、自分に出来ることは自分でやり、厳しいリハビリにも耐えていました。自宅での生活になると身体を動かしづらいにも関わらず、料理や他の家事なども行っていました。
父は家族全員を養っている立場でしたので、かなりの負担があったと思います。このとき、父も倒れていたらと思うとゾッとしますが、健康でいてくれた事に感謝したいです。
兄は高校生でしたが、大学進学を控えているシーズンに介護が始まった為、学業でも家のことでも負担があったと思います。
自宅での懸命な介護・療養を続けるも、回復が難しく、母は私が中学3年の夏に亡くなりました。
亡くなる間際に母の病室で「一緒に家に帰ろう」と声をかけ、手を握っていた瞬間が今でも忘れられません。
母という、自分の絶対的な味方がいなくなったことでかなりの喪失感に見舞われました。 と同時に、"これから先ひとりで生きていかなくては"という自覚がはっきりと芽生えました。
これまでを振り返ってみて、欲を言うと、母に高校の制服姿を見てもらいたかった。大学の入学卒業のときも。社会人になって働きだしたときも…どんな時も傍で見ていてほしかった。そう思います。
もっと介護に積極的になり、母との時間を大切に、思い出づくりをしておけば良かったな、と後悔ばかりが残ります。
当時の家族それぞれの状況や立場は違えど、介護の辛さや苦労は誰にでもあります。
]"介護"というものを一度経験したこともあり、その時の境遇が今の私の精神力を形づくっているものの一つでもあると感じます。必ずしも辛く大変だった、というだけではなく、良い経験だったと今ではそう思えるようになりました。
今年母が亡くなってから、もうすぐ14回目の夏を迎えます。
今後来るべき親の介護。もしくはいつか自分がケガや病気で介護される側になるかもしれない。
その時には介護を経験してきた日々を思い返し、人に優しく、自分自身も心の余裕をもって日々を過していきたいと考えています。
イノベーション・マーケティング部
渡邉桃子