「自然災害と向き合うこと」
※本コラムは、2020/11/20に株式会社ジャストのコーポレートサイトへ投稿されたコラムの再掲となります。
自然災害は必ず起こるが、皆が平等に経験するわけではない。
経験して気付くこと、遠くから見て感じること、向き合い方は人それぞれ違うと思う。
私が小さい頃、怖いものと言えば「地震、雷、火事、親父」の例え話のように親父が最も恐れられ、地震に関しては一番怖くないもの、というよりは今ほど身近なものではなかった。私の地元は山に囲まれていたこともあり雷が多く、災害と言えば「雷、親父」であった。
記憶の中にある初めて目にした災害は、1995年の阪神淡路大震災。子供だった私は普段ニュースなど見なかったが、朝起きて目にしたテレビの映像を今でも覚えている。当たり前のように建っていたビルや高速道路が崩れていた。でも今から思えば当時の私は驚いただけで、それ以上のことは考えてはいなかったと思う。
そして私が大学生の頃、記憶は定かではないが震度4程度の大きな地震を初めて経験した。研究室にいた私は高層階ということもあってとても大きな揺れを感じた。当時、建築構造を学んでいたため地震に関しての知識は多少なりともあったと思うが、その時の私は揺れを感じてすぐに避難はできず、咄嗟に近くにあった自分よりも背の高い本棚を必死に押さえていた。揺れはすぐに収まったが、もう少し大きかったら間違いなく逃げ遅れていた。実際にそういう状況になったら冷静な判断など出来ないと身をもって体験した。
その後ジャストに入社して、数多くの建造物を調査・診断するようになった。そして2011年東日本大震災が発生。休暇をとって帰省していた私は地元の商業施設にいた。突然大きな揺れを感じたためすぐに安全な場所へと避難した。幸い怪我はしなかったが実家が停電してしまい、夜になっても復旧の目途は立たず、ラジオで状況を確認するしかなかった。
翌日テレビで見た光景に愕然とした。津波により家が流され一瞬にして昨日までの風景が姿を変えた。耳から入ってくる情報とはかけ離れたものだった。
震災から一か月ほどが経過し仕事で仙台に行った。被災した場所を訪れるのは初めてだった。 仕事を終え特に大きな被害を受けた場所へと向かった。瓦礫の山、ひっくり返ったままの船、復旧もままならない状況を見て初めて災害に対して恐怖を感じた。その時今までの自分の認識の甘さを痛感した。色々な建物を調査・診断する中で災害に対して向き合っていると思っていたがそれは間違っていたことに気付いた。本当の意味では向き合えてはいなかった。
2016年熊本地震が発生。私は自分の目で直接見なくてはいけないと決意し、2週間ほどが経ったのち現地に向かった。木造家屋の被害が多かった益城町を訪れた。この地域では台風対策のため重たい瓦屋根の古い木造住宅が多く、それがこの地震の周期と合致してしまい被害が大きくなったと言われている。実際に多くの木造家屋は倒壊しており、残っている建物も傾斜していて今にも崩れそうだった。自分は被災された方から見ればただの野次馬だったかもしれない。ただその時の自分にはこの状況を目に焼き付け記憶することしか出来ないと思っていた。
これまでの経験が日々の業務にどの程度役に立っているのか、本当に今のままで良いのか、災害に対してきちんと向き合えているのか。それは分からないし、答えは出ないのかもしれない。 ただそれが日々の業務の原動力になっているのは間違いない。
この自問自答の繰り返しが私の自然災害と向き合うということだと思う。
設計部
中村佳之