歴史的建築物と出会って
ジャスト名古屋営業所の建物調査担当者です。今年で入社18年、社会人生活は37年になります。これまで多くのお客様に支えられ、調査業務を続けてこられました。この場を借りて御礼申し上げます。
現在、私は、既存の建物に関するあらゆる調査の営業をさせていただいております。
この18年間で数々の建物に携わりましたが、なかでも昭和初期の歴史的建築物の調査を通じて貴重な経験を重ねることができました。これらの業務では、現況図や構造図の復元、コンクリートや鉄筋の材料調査を行いましたが、そのデータは貴重な建築歴史の財産と感じています。
私は、ジャストに入社するまで、建築の歴史には全く興味がありませんでした。それが、歴史的建築物の調査を通して、先人の技術に直接触れることができました。その体験の一部をご紹介いたします。
例えば、鉄筋コンクリート造の歴史的建築物を調査した事例ですが、そのコンクリートの施工の品質に驚かされました。コンクリート強度は十分で、ひび割れが極めて少なく、コンクリートの充填定も密実でした。つまり、昭和40年代から60年代のコンクリートの品質より優れているという神話を実際に確認することができたのです。
昭和40年後半から昭和60年代のコンクリートは、ポンプ車の登場で加水による品質の低下が社会問題となっていました。私は昭和62年の卒業研究で、コンクリートを製造する際の水の量が、耐久性に及ぼす影響を調べるため、複数の耐久性実験をおこないました。その結果、確かに水量の増加がコンクリートの品質を低下させていることが確認できました。そして、1993年には、単位水量の上限がJISで定められました。
鉄筋についても驚きがありました。鉄筋は、必要とされる部分に配置されていました。しかも非破壊検査で鉄筋の配置を確認したところ、水平垂直間隔ともきっちり整っていました。そして複雑な形状の主筋の2段筋が配置されていることは判明した時、電卓がない時代にどのように高度な計算をしていたのか。構造設計者が複雑な計算をする姿を見たくなりました。
その後、歴史的建築物の調査を通じて知り合った先生から昭和初期のある大学の構造講義資料を見せていただく機会に巡り合えました。そこには、現在の構造設計基準の設計基準書に記載されているのと同じグラフが記載されていました。2つのパラメータの曲線が交差した手書きのグラフです。
昭和初期に、この曲線ひとつひとつを手書きで作成した技術者がいたということに驚きを感じえませんでした。この手書きの資料は写メを撮影して今もコレクションにしています。
ある歴史的建築物の古い手書きの構造計算書のエピソードですが、あるお客様から教えていただいたのですが、その計算書の余白に、設計者の迷いのメモがいたるところに残っていたそうです。「●●はこう考えたが、これでよいのか?」と走り書きがあったそうです。その建物は現在でも立派な姿を見せています。この構造計算書そのものも将来重要な文化財になるのではないでしょうか。
歴史的建築物は、内装も素晴らしいです。絢爛豪華な大理石の内装仕上げの話ですが、柱壁梁の仕上げで、大理石が整然と積み上げられている建物がありました。3Dレーザースキャナで鉛直精度を確認しましたが、目を見張るものがありました。
石職人さんにヒアリングしたところ、現在では、このような仕事はできないと言い切っていました。
歴史的建築物の創建当時の図面は、「芸術品」です。ある歴史的建築物の構造図を復元するため、創建当時の図面を閲覧した時のことです。その図面は背景が青で線が白色のいわゆる青図でした。あまりにも貴重なのでコピーができず、手袋をしながら1枚1枚写真撮影しました。
外装仕上げの御影石が、一つ一つ、丁寧に描かれていました。CADと異なり明らかに修正ができないものでした。そして復元したCAD図を見比べたると、CADで作成した図面が貧弱に見えました。
このように歴史駅建築物の構造図を復元する仕事は大変魅力があります。昭和初期の技術者の技術に触れる体験も素晴らしいのですが、この難易度の高い調査方法を企画することも極めてやりがいがあります。見合えない部分の構造をいかに解明するか?
歴史的建築物の調査方法を企画する際には、かなりの創意工夫が必要です。トライの積み重ねです。
自分の建物への向き合い方の波長が建物と共振した時、ふっとアイデアが浮かんできます。
その結果、建物の構造が判明したときの達成感は、とても刺激的です。
このように経験を重ねれば重ねるほど、自分は何もわかっていないということを自覚したような気がします。
「積み重ね、積み重ねても、また積み重ね」という名言が心に染み入ります。
これからも建築のたずさわるものとして技術の研鑚に励みますので、ジャストを末永くご愛顧いただけますようお願い申し上げます。
名古屋営業所
西尾 敦昌