偉大な冒険家
※本コラムは、2017/11/5に株式会社ジャストのコーポレートサイトへ投稿されたコラムの再掲となります。
アラスカにそびえるデナリ、かつてマッキンリーと呼ばれた北米大陸最高峰(6190m)、その山の巨大な絶壁を一気にスキーで滑り降りるという日本人スキーヤーの冒険番組が先日放送されていた。私自身スキーには全くと言っていいほど興味がないのだが、その山デナリには思い入れがあり、放送された時間はテレビに釘付けになってしまった。
デナリは標高ではエベレスト(8848m)より低い山となるが、比高(山の麓から頂上までの体感の高さ)では約5600mで世界最高比高の山となる。(エベレストの比高は富士山と同じ約3700mとの事)また、緯度の関係で真冬の気温が非常に低く常に-40℃を下回り、気圧も低いため高山病の危険性が最も高い危険な山である。ちなみに、夏場でも山頂は-20℃程度、過去最低気温は‐73.3度を記録したこともある極寒の山なのだ。
そのデナリで1984年に厳冬期単独登頂を行い行方不明になった日本人がいる。戦後日本が生んだ冒険家、植村直己、私が尊敬する人物の一人である。
小学生の時に読んだ本『青春を山に賭けて』で植村直己という1人の冒険家を知り、その生き方、考え方、旅での行動力など数々の冒険に衝撃を受け、いつの間にか虜になってしまった。
その植村氏の代表的な冒険について、
世界初の五大陸最高峰登頂者
南極大陸3000km横断
北極圏12000kmの犬橇探検
アマゾン川6000kmの単独いかだ下り
等々である。
現在は何をするにも装備が充実し、登山に関する情報も豊富で、同じ登山と冒険の達成者は現在では何人もいると思う。ただ、当時と今では状況が違いすぎる事を考えれば植村氏が行った冒険は本当に凄い事だと思わざるをえない。
また、植村氏が生前残してきた言葉がいくつもある。
「冒険とは生きて帰ってくる事」
「物資に恵まれている中では、人間本来のものは失われている」
「人の生きる本当の価値は、お金や肩書きなどではなく、夢を追い求め一瞬一瞬を精一杯生きることにある、みんなそれぞれが、何か新しいことをやる、それはすべて冒険だと」
「私は意志が弱い。その弱さを克服するには、自分を引き下がれない状況に追い込むことだ。」
残念ながら生きて帰ってこれなかったが・・・決して自身を天才と思わず平凡な人間であると考え、常に全力をあげて事に当り、劣等感を成功に変えてきた人だと私は思う。その植村氏の行動は一生真似することはできないと思う。しかし植村氏の思いや考えについては、今後の人生必ず役に立つ日が来るとも思う。
最後にもう一つ、植村氏が残した言葉で私が一番印象に残った言葉を紹介する。
「常に誰かへの感謝を忘れないこと」
常に自分は色々な人に支えられてるという思いを絶やしてはならない。これは簡単なようでなかなか出来る事ではない。
私の今の年齢と同じ43歳でこの世を去った植村直己氏、世界中に勇気と希望を与えてくれた偉大な冒険家だと今も思う。
営業第2部
増田 貴光