“人との繋がり”
※本コラムは、2020/4/1に株式会社ジャストのコーポレートサイトへ投稿されたコラムの再掲となります。
私の出身地は東日本大震災の際、岩手県で一番大きな被害を受けた陸前高田市である。
2011年3月11日、サイレンの音とともに、市街地には15mを超える津波が押し寄せてきた。
15:50分頃、友人Yから第一報のメール、『津波により壊滅的にやられた』この一行だけのメールだった。22:00頃、友人Tからの第二報のメール、『高田高校の3階までの津波が来た』同じくこの一行だけのメールだった。
このメールを読んだ私は眠れなかった・・・。
当時私は、横浜本社で津波が押し寄せる映像を見ていた。何とか映像に映っている人達を助けたい!でも出来ない、術がない、その場に居ない自分を悔やんだ。
翌朝、陸前高田市の被害状況を伝える映像が映し出された。育った町が全て破壊され、両親の生存確認も取れないままでいた。人前では涙を流さず、お風呂に浸る時だけ涙を流した。
被災地では電話が通じず、盛岡の友人Fから地元(被災地)に向かうと連絡が入り、私は両親の安否確認を頼んだ。そして震災5日後、ようやく両親が生きている知らせを受け取る事が出来た。
月日が流れ、TVやラジオで被災地の状況を知る機会が増えだした頃、ボランティアで遠い岡山から陸前高田まで駆けつけ、瓦礫の撤去や側溝の清掃作業を一生懸命、息を切らしながら作業を続けてくれた方がいる事をSNSで知った。ボランティアで頑張ってくださっている方の姿を見る度に心の中で『有難う』と語りかけた。
2019年、都内某女子大学の基礎調査の時に、土工事でお世話になった協力業者のSさんと知り合う。忘年会の際に出身地の話題になり陸前高田出身ですと話をした。するとなんとSさんが、震災後直ぐ都内から陸前高田市まで足を運び、特殊な重機を用いて瓦礫や船の撤去作業をしてくれた一人であることがわかった。震災後8年経過して知り合った人であった。私は陸前高田市民を代表して、と一言付けて『有難う御座いました』と、心からの感謝の気持ちを伝えた。
震災後、地元に戻り復興の役に立ちたいと思う事もあったが、建物がほぼ残っていないので、建物を調査するまでもない。
調査業務も震災後増え、人の不幸で生きているかもしれないと、思う事もあった。
だが業務をこなしていくうち、その建物を再利用する人達の為に建物調査を行えば、違った形ではあるが役に立てると思うようになった。
これこそ、『自分がジャストに居る使命だ!』と。
人と人はいつ繋がるかわからない。でもその繋がりを持ってさえすれば、困ったときに助けてくれる人がいる。そして、ジャストにはありとあらゆる建物の検査、調査を実行するスペシャリストが揃っている。私一人の力では太刀打ち出来なくとも、ジャスト社員や協力会社全員で立ち向かえばなんとかなる!(笑)と、思っている。
私はみんなに助けてもらえるような存在になるよう心掛け、今後も人と人との付き合いを大切にしていこうと思う。
調査診断事業部 アサインメントグループ
村上武法