ごはんの記憶
※本コラムは、2022/4/1に株式会社ジャストのコーポレートサイトへ投稿されたコラムの再掲となります。
「食べたものが身体を作るのは当たり前だけど、それだけじゃなくて。誰かと一緒にごはんを食べて楽しかったとかおいしかったとか、そういう記憶ってずっと残るから、食べてもなくならないよ。記憶が残るならごはんも残ってるってことだよ。」
丁寧にごはんを作る主人公に向けて「食べたらなくなるのに、なんでそんなに手をかけてごはんを作るの?」という問いを投げかけられたときの会話である。
最近はビジネス書ばかり読んでいたが、ふと思い立って、久しぶりに小説という分野に分類される本を読んだ。「今日のハチミツ、あしたの私 」という本で、私が解釈するに、「居場所」と「ごはん」がテーマなのではないかと思う。
居場所についての話も深かったけれど、上に書いた一節がより印象に残ったので「ごはん」の話しをしたい。
私自身、何が好き、どのお店が好き、ということはそれ自体の味やお店の雰囲気もそうだけれど、大半は「誰と食べたのか」に記憶が紐づく。
例えば、おばあちゃんがよく作ってくれた、しらたきのたらこ和え。しらたきの歯ごたえとたらこのプチプチした触感、甘辛くほっこりとした味付け。小口切りにしたネギが良いアクセントである。疲れていてもスルスルと喉を通る。二世帯で住んでいたおばあちゃんから、たまに「何食べたい?」と聞かれるといつもオーダーをしていたことを思い出す。
今でも大好物である。
また、以前、京都の嵐山という郊外にある職場に務めていた際に、会社の近くにあった居酒屋。おばんざいや、生麩田楽、トウモロコシの天ぷらなど、それまで東京のチェーンの居酒屋で飲んでいた私にとって、見たこともないメニューが並ぶ(しかも安い)。シフト制だったため、勤務が終わる時間は皆バラバラだったが、誰が呼んだ訳でもなく一人、二人と集まり、それが気が付けば二卓、三卓となり、業務で改善できることや、お客さんに喜んでもらうための施策を夜中まで日本酒を飲みながら語り合う。フラフラと自転車で帰宅し数時間後に出勤して、実行にうつす。
京都には他にも美味しいお店が沢山あるのだが、京都に訪れると必ず行きたいお店である。
ある料理家の方が、「食への態度は、その人の人生の態度を反映している」と言っていた。 自
分のために料理をしたり、一人でごはんを食べるときは、食とじっくり向き合える時間でもある。また、みんなで食べる時は「ずっと残るもの」という想いで料理をしたり、食事をしたりしたい。
忙しい日々で難しいときももちろんあるけれど、せめて一日一食だけでも。
経営企画部
杉山 夏美