祖母の実家はボブスレー

鷲毛はまどの外に1つ、気球がぷかぷか浮かんでゆくのを見ていた。水曜日の9時半。掃除も洗濯も終えた時のこと。昼食にパスタをこさえたはいいが、急に食欲がなくなってしまったので、2本だけ食べて残りは冷蔵庫に入れた。

所在なく炭酸水をコップにそそぎ、タバコをふかして「あたしゃ、初冬の朝がいちばんすきだなあ。無駄がないもの」と声に出す。「たぶん一年でいちばんきれいだもの」とつづける。そのあとに「きのうの夜は無駄だったなあ」と心のうちで唱えた

鷲毛は昨晩、この部屋で7人の友だちと飲み明かしていた。そのなかには彼氏の箱田もいた。みんなでテレビを観たり、ゲームをしたりするうち、話は鷲毛と箱田のことになった。

「おまえらってさぁ、いつもなにしてるの?」「いつもって?」「土日とかさ」「う〜ん、なにしてんだろ。ぼーっとしてんな」「ふたりで?」「うん」「ふたりでぼーっとしてんの?」「うん」「横に並んで?」「いや、縦かな」「え、縦なの? 向かい合ってんの?」「いや、電車みたいに」

友人の質問にたんたんと答える箱田を見ながら、鷲毛は悲しくなった。私はどうして彼と一緒にいるのだろうか、彼はなんで私と一緒にいるのだろうか。

酔っていたからなのか、不意に涙が出そうになって「あぶね」と声を漏らしたのがいけなかった。友人たちは「なにがあぶないのよぉ」と、おもしろがる。鷲毛は鼻をひくつかせながら「いやわたしあぶないなぁって」と笑いながら泣いた。友人らは「電車ごっこはたしかにあぶないな」とふざける。箱田だけが無表情で「別れよう」と口にして、ふたりは別れた。

「べつだん、さみしいわけではないよ」と鷲毛は独り言ちた。彼が言わなければ、私から切り出していただろう。要はタイミングだ。箱田と会うことは、もうなくなる。そんなことは、とうに気付いていた。いつからかは分からない。でも知ってた。私にとって彼は必要なくなるし、彼にとってもそう。いよいよメーデーがやってきたというだけ。この結末は知ってた。うん、知ってた。

窓の外を見ると気球が増えていた。100はくだらないだろう。色とりどりの気球が、都会のビル群を縫うようにぷかぷかと浮かんでいる。

鷲毛はタバコをもう一本取り出して、勢いよく吸いはじめた。コップに炭酸水を注ぐ。気泡が生まれては弾ける。そのたび御空色の気体が煙のように浮かんで、ほんの少しずつ部屋を満たしていく。

ぷつ、ぷつ、と現れる気体は、どこにいくのかも分からないが、天井に溜まって渦を巻いている。鷲毛は「バカめ」と言って、ちょっとだけテーブルの脚を蹴ってみた。「バカめ」「バカめが」。こんなにも些細なストレスすら、解消できない自分に気づく。

箱田はいまごろなにしてんだろ。そう思って炭酸水を飲んだ。ぷは。御空色の気体が口からふわりとあらわれる。タバコの煙とまじって、ほんのりやさぐれたブルーになった。

太陽のひかりが隠れたことに気付いて窓の外を見ると、気球の数は膨大なものになっていた。ところどころ破裂して、ビルの屋上に覆いかぶさっている。過剰なまでにカラフルな街を見て、鷲毛はすこし眠たくなった。

横になって眼をつぶる。ガラガラガラ、と窓が開く音がして風が通り抜けたが、鷲毛は構わずまぶたを閉じていた。ゆっくりとフローリングを歩く音が聞こえる。「あ、あなた、尺八にうってつけの指をしているね」と知らない女の声がして、カニの甲羅のような表面にブツブツがあるなにかで頭を撫でられた。鷲毛はそのまますっかり眠ってしまった。

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