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義母に下味をつけることで自我保つ

「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」

オフィスビルの2階と3階の間、エスカレーターですれ違う瞬間に言われた。スーツ姿の若々しい女だった。私は女を見ながら下る。女もこちらをのぞきながら上っていく。真顔だ。距離が離れていく。女はこちらを見ながらエスカレーターを降り、スタスタと歩き去った。私は女が見えなくなってから、前を向き直り、会議室へ急いだ。

20名ほどのプロジェクトメンバーが集まった室内では、すでに会議が始まっていた。壇上には、先日50歳を超えたばかりの部長が立っている。みな、シンと静まり返ってプロジェクターに映る動画を凝視していた。渦を巻くシーソーや、人中を模したすべり台が映し出される。遅刻した私はいそいそと末席に座って、小声で隣の同期に話しかけた。

「厚木の保育所なんだけどさ、結局、トランポリンの設置許可降りたんだっけあれ」

同期は聞こえてないのか、プロジェクターから目を逸らさない。プロジェクターには、巨大な鼻の穴から、諸手を挙げて滑り降りる女児が映る。笑顔がまぶしい。

「なぁ、なぁ」と同期の肩をつつくと、彼はようやくこちらを向いた。

「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」

彼はそれだけ言うと、またプロジェクターに目を戻す。さっきの女児がすべり台を逆走して、鼻の穴に入っていく。ぴたりと動画が止まった。

「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」

部長がレーザーポインターを動かしながら、メンバーに声をかける。「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」。同じ課の先輩が挙手とともに答える。「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」。対面に座るハゲあがった係長が湯呑みをすすりながら「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」と反論した。「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」。部長は係長の意見を一蹴し、女児がはしゃぐ映像の音量を上げた。

「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」
「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」
「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」

鼻の穴から降りてくる子どもたちは、はつらつとした笑顔を見せながら興奮している。部長はまた音量を落として動画を止める。「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」と眉間にしわを寄せつつ、係長に向けて言い放った。

「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」係長は小声でそう漏らし、お茶を飲みつつバツの悪そうな顔をして引き下がる。部長はひとつパンと手を叩くと「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」と会議を締めた。メンバーは一斉に立ち上がり「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」と談笑をはじめた。


私はさっき持ってきたばかりの資料を一切使うことなく、会議室を出てエスカレーターで3階に上る。まったくオフィスが3階なのに会議室が2階だなんて、あまりに非効率的だ。同期と一緒にエスカレーターを上ってゆく。

「厚木の保育所のことなんだけどさ」と声をかけると「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」と返ってきた。私は「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」と質問する。「ねぇ油揚げに乗って空飛んでみたくない?」と叱責される。「油揚げに乗って空飛んでみたくない?油揚げに乗って空飛んでみたくない?油揚げに乗って空……とジャケットのポケットでスマートフォンが鳴った。画面には厚木区役所とある。「もしもし?」と出ると、なぜか切られた。

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