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いかついタトゥーの天狗と飲みの約束

よし、これから寿司を食べよう。

白里茉里は14時を少し回ったころに、独り言ちた。彼女は本日めでたく25歳になったのだが、友人や恋人に囲まれているわけでもなく、そのうえ入浴しようとバスルームに向かうと、浴槽内で釣った覚えもないカンパチが生き生きと泳いでいたのであり、なんとなく見ているうちに「そういえば最近は魚を食べていないなと、とびきりいい寿司を食べよう」と発想したのである。

カンパチの邪魔になるので、仕方なく湯船を諦めてシャワーを浴び、録画していた2時間番組「白滝で子犬を殺める方法」をうなずきながら鑑賞して家を出た。17時だった。

空にはうっすらと月が出ており、月から白い糸のようなものが隣町のあたりまで垂れ下がっている。茉里は立ち止まり、ポケットから双眼鏡を取り出して眺めた。白っぽく見えた糸は顕微鏡を通すと真っ黒に見えた。

ぼおっと眺めていると、若い男がしっかりと糸を掴んで上ってきた。服を着ていない。男は中腹で立ち止まると、ペロペロと糸を舐めはじめた。甘い蜜でも出ているのだろうか。ニヤニヤ笑って、ひたすら糸を舐めている。茉里は男のことを変態だと思った。しかし彼に嫌悪感を抱いたわけではない。かといって好意を抱いたわけでもない。ただ「変態だ」と感じたのである。なんてシンプルな変態だ、と。

茉里は顕微鏡をポケットにしまって、寿司屋を目指すことにした。時刻は18時を回っており、すると変態を1時間近くも眺めていたことになる。その間、変態はずっと糸を舐めては少し上ることを繰り返していたのであり、これ以上観察するのは無駄だと、茉里はようやく自覚した。

寿司屋にはすぐに着いた。引き戸をガラと開けて店内に入る。「いらっしゃいませ」と声がする。丸テーブルにある椅子に座って、茉里は「かんぱち2巻」とピースサインをつくった。店員は茉里の眼をじっくりと見て「かんぱち2巻」と繰り返す。「かんぱち2巻とはどのメーカーのどの部品でしょうか」。茉里は魚種を「メーカー」と呼ぶ人間に、初めて出くわした。「海水魚です。出世魚で、アカハナやネイゴとも呼ばれます」と返すと「お客さん、ここはトヨタですよ」と返された。

茉里は思わず「え」と声を漏らす。あたりを見ると、新車が数台置いてあり、ホイールやエンジンオイルなども売られていた。いま話している店員はスーツ姿だ。割烹着ではないし、ハチマキもしていない。茉里が座った席は商談のために設けられており、ここはトヨタの新車販売店だったのだ。「だから赤身しか置いていません」と店員は続ける。茉里はすこしがっかりしたが、25歳の誕生日に暗い時間はいらないと、すぐに切り替えた。

「じゃあまぐろを2巻お願いします」
「あいよぉぉ! まぐろいただきゃしたぁ!」

店員の掛け声を合図に、20名ほどの若い男が、「まぐろいただきゃしたぁ! ありがとうござぁまぁ!!」と店内の裏から飛び出してきた。銘々、スーツのジャケットを投げ捨てて踊る。大音量でEarth, Wind & FireのSeptemberが流れはじめた。音のほうを見ると、ドラムやギター、ベース、ホーン隊が満面の笑みで演奏している。茉里は楽しくなって、いつの間にか手拍子をしていた。「いい誕生日だな。お寿司も食べられて、歌とダンスを楽しめて。うん、25歳は良い1年になりそうだ」とノリノリで思っていたが、結局、1時間経っても3時間経ってもマグロは現れずに歌とダンスが続き、ダンサーたちは皆ヘトヘトで咳が目立つようになり、なかには四つん這いでぜえぜえと苦しむものも出てきて、いい加減Septemberに飽きたので「よっこらせ」と席を立ち、店を出ることにした。帰りにコンビニで白滝を買ったことは言うまでもない。

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