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画家のヒエロニムス・ボスは人類唯一のタイムリーパーである

ヒエロニムス・ボスの逸話を読むと「さすがに嘘でしょ!」と思う。ヒエロニムス・ボスの絵を観ると「は?令和の画家か?」と思う。ボスはマジで嘘みたいな画家だ。美術史界のミステリーだ。

西洋美術史を知るほど、なぜあの時代にこんな幻想絵画が生まれたのかが不思議でならない。「江戸の春画にMacBookがある」みたいな奇妙さ。

今回はヒエロニムス・ボスについて、なぜ生まれたのかをみんなで考えたい。

ヒエロニムス・ボスの作品はもうあべこべでめちゃくちゃで最高なんです

とりあえずいったんヒエロニムス・ボスの作品を見てみよう。ボスを知るためには、作品を見るのがいちばん早いだろう。

ヒエロニムス・ボス「快楽の園」

ヒエロニムス・ボス「トゥヌグダルクの幻視」

見ての通り、とにかくあべこべではちゃめちゃな絵画を描いた画家だ。魚が地を駆け、鳥が海に潜る。異形が至る所におり、遊び呆けている。

しかも『快楽の園』は、なんと観音開き本になっている。幻想絵画の走りとされているが、びっくりドンキーの走りでもあるのだ。

この装丁の仕様は当時流行をはじめたイリュージョニスティック的表現でもある。だまし絵とかね。

観音を閉じるとこんな感じ。

神の視点での天地創造の光景になるわけだ。本を開くとともに、世界に住んでいる訳のわからん暮らしにグッとフォーカスされる。

神さまの視点で物事を見ているかのような気持ちになって「うわ〜、変な世界作っちゃった〜! 7日間ぜんぶミスった〜」的な感覚になってしまう。

断言します。ヒエロニムス・ボスはタイムリーパーです

もちろんこうした絵画表現をそのままおもしろがるのも楽しい。しかし個人的には、ボスの真のおもしろさは、その時代背景にあると思っている。

彼の生まれはなんと1450年の、ルネサンス期なのだ。ちなみに西洋美術がアカデミズム的写実主義から表現主義に遷移した印象派の時代が1800年代中ごろ、ゴーギャンやゴッホなどの後期印象派が1800年代後半、ダダ・シュルレアリスムが1900年代前半。

ボスの絵だけを見ると、世紀末芸術〜ダダ・シュルレアリスムの系譜か? と思うが、いやいや、それよりも300年以上前に描かれた絵画なのだ。

以前「だいたいのアーティストは過去から何らかの影響を受けて、倣って、学んでから創っている」みたいな記事を書いたが、ボスはそんな影響を感じさせない。ブリューゲルのファンだったらしいが「どこが好きだったんだ」と問いたい。「社交辞令か?」と。だってブリューゲル、こんな平和な絵画の人だぞ、と。

ピーテル・ブリューゲル「農民の踊り」

1500年ごろのルネサンス期の画家はたしかに変化の渦中にいた。彼はネーデルラント生まれで、ルネサンス派のなかでは初期フランドル派に属する。当時の流行は変化のさなかにあったといっても、みんなまだ写実主義でいわゆる写真みたいな絵を描くことを目指していた。

ヤン・ファン・エイクをはじめ、初期フランドル派の人たちは王家や民家の人物画を徹底的に写実している。まだそんな時代だ。ボスは筆致こそ似ているが、テーマ自体が大きくちがう。やっぱタイムリーパーでしょこれ! 完全にシュルレアリストが活躍する未来が見えちゃってるもん。

ボスは宗教画なの? いやいや尻に楽譜とか描かねえだろ。神なめてんのか

しかし一方で「ボスがタイムリーパーでない」という反論もわかる。

ルネサンス期に行き着くまでの間に宗教画も流行っていた。聖書や経典の一部をビジュアライズしたもので、お馴染みの神々を描くという運動はもちろんあった。比較的、ファンタジックな仕上がりだ。

ボスの幻想絵画は、近年の研究で宗教画という観られ方をされはじめている。でも聞いてほしい。明らかに他の宗教画家と違うんですって。想像力がたくましすぎるって。魚に人の手足をつけたりしないもん。

ふざけてるもんこの人。だってフォーカスしたら他人の尻に楽譜書いて遊んでる人とかいるんだもん。

どんな世界観だこれ。オーケストラの前に全裸がいんのか? みんな尻見ながら演奏すんのか? で、何だこの隣の「円谷プロ(やる気なし)」みたいなゆるキャラは。はちまきかこれ?

話を戻そう。ボスが何を描いていたのかをみんなが知りたいに決まっている。しかしやっかいなのは「ボスの生涯に関する文献や情報は、ほとんど残されていない」ということだ。ボスが何を思ってこの絵画表現をしたかは、いまいち答えがないのである。

ほらタイムリーパーでしょ。未来人だから分かってないんでしょ。これ、ふざけてないから、私は本気で未来から来た人だと思っています。

なぜ幻想絵画を描いたかではなく、タイムマシンはいくらなのかを考えたい

ボスの作品から300年後にダダ・シュルレアリストたちは「やっばいなこれ」となった。「どうなってんだ、この絵……」と。

1910年代の当時はすでにアートシーンが多様化していたころで、幻想絵画も珍しくなかった。すると、ボスの絵も再評価を受けることになったのだ。

詩人のデュルクは「愉快な寂しがり屋」と形容している。たしかに寂しがり屋さんっぽいですよね。自分の想像のなかで生きてるとこんな絵を描きそうな気がする。

いや、だから違うって。ヒエロニムス・ボスはタイムリーパーだから。おそらく2600年代あたりからタイムマシンでやってきたに違いない。ただこれかなりの重罪だ。過去を思い切り変えてしまっているので、もう首を刎ねられているだろう。

しかし2600年代のタイムマシンっていくらくらいなんだろうか。まだ1億とかするのかなぁ。意外と型落ちだったら200万円くらいで買えるのかなぁ。イエローハットあたりが中古販売してんのかなぁ。未来に行ってボスと話してみたいなぁ。

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