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海外におけるヤオハンの展開と現在【前編・ヤオハンの海外進出の始まり】


1. ヤオハンって?

かつてヤオハンというスーパーがあった。
静岡県を本社として、主に神奈川/静岡/愛知/山梨で栄えたスーパーである。
北関東の方にも同名のスーパーがありますが今回はガン無視

しかしながら、こちらの会社は1997年に会社更生法を申請し倒産。ジャスコが名乗りを上げたことにより、イオングループとなった。

そして現在はマックスバリュ東海になっており、東海地区(といっても横浜市やら岐阜県やらも含むのでやたら広い)のマックスバリュの運営会社としてそこそこ栄えている。
ちなみに「ヤオハン」という名前の店は倒産してもしばらく残していて、2011年までに全店舗が「マックスバリュ」になった。

一応この記事ではある程度「日本のヤオハン」について知っている前提で話すので、もし興味があればヤオハンのWikipediaでもご覧ください。

と、ここまで話してきたのは「日本のヤオハン」のお話である。
ヤオハンについて知っている方々であれば、これがヤオハンのすべてではないことはご存じであろう。

2.ヤオハンの海外への情熱

ヤオハンは、海外への情熱を燃やしたスーパーである。

そもそもかつて日本のスーパーは、今と比にならないほど海外に情熱があった。長らく業界1位であったダイエーはハワイ/中国に店舗が存在したし、さらにさかのぼると百貨店も多くの海外店舗を持っていた。

しかしながら、ヤオハンの情熱はこれらの比ではない。実際、グループ全体の「本部」を1989年には香港にし、さらに1996年には上海とした。
※日本のヤオハンが香港や上海企業傘下であったかというとそうでもなく、実際にはかなり複雑な資本関係をとっていたようである。何しろ登記上の本社がバミューダ諸島(おそらく法人税回避目的)にあったこともあったようだ。

それだけに、ヤオハンの海外進出の事業は多岐にわたる。しかしながら、それらの資料は散逸しているほか、現在どのようになっているか、を調べるのはかなり骨の折れる作業である。そこで現在の筆者の調査を放出することで、ヤオハン研究家たちの一助になれば幸いである。

3.ヤオハンの海外事業一覧

ヤオハンは合計で13か国に進出していた。しかしながらこれらは同時に存在していたわけではなく、破綻前に撤退した国も存在する。私が把握している範囲で、それらの事業の「その後」も確認していく。

なお、基本的にSM事業・百貨店事業以外は省略する。実際にはベスト電器やらモスバーガーやらナムコやらの合弁がございまして、そちらに関しては別の機会に回すこととする。

①ブラジル(1971~1982)


展開店舗
・ピニエーロス店(1971~1982)
・ソロカバ店(1972~1982)
・インテルラゴス店(1975~1977)
・コンチネンタルショッピングセンター店(1975~1977)

ヤオハンが出店の初陣に選んだのはブラジルであった。当時のヤオハンは日本の店舗数が7店舗しかなかったため、相当タフな挑戦である。なぜ最初にブラジルを選んだのかは諸説あるが、日系人が多かったことが挙げられるだろう。

ブラジルに限らず、ヤオハンの海外進出の特徴は、「宗教と一体になって行われた」ということがある。その宗教とは、神道系の新興宗教である、「生長の家」である。

本題から離れるので割愛するが、外国人を含め、従業員にはこの生長の家の教えを取り入れた教育を行っていたようだ。

さて、ヤオハンのブラジル進出は、もちろん苦労もつきものだったが、当初数年間は売り上げは良かったようだ。しかしながら、オイルショックにより大幅なインフレが発生。経営不振に追い込まれることとなった。

1977年に当初は日系の「モリタ」というスーパーへの売却を予定していたが決裂。最終的に和議申請を行い、2店舗を閉鎖。運営を継続した。1980年には負債を完済し一度は復活を果たしたものの、1982年にはやはり不振ということで閉鎖したようだ。

最後の2店舗と引き換えに大規模な牧場を取得し、こちらは80年代後半まで実態が確認されている。

ブラジルの事業についてはヤオハン側も「失敗経験」というとらえ方をしているようで、特にブラジルの牧場閉鎖後は「1977年をもって撤退」という見解をとっているようだ。現実の改変じゃねえか。

②シンガポール(1974~1998)


展開店舗
(百貨店業態)

・オーチャード店(1974~1997初頭)
・カトン店(1977~1997末、パークウェー・パレード店と表記ゆれあり)
・トムソン・プラザ店(1979~1997末)
・プキテマ・プラザ店(1981~1996)
・ジュロン店(1983~1989)

(その他)
・シンガポールIMM(1990~1998)
-中に存在したSM「メガマート」?
・ミニスーパー1店?(1985~1986)

シンガポールは東南アジアの中で唯一昔から「先進国」と言える国であり、こちらもやはりそごうや大丸など日系の進出が多い国であった。

ヤオハンが初めて多店舗化に成功した国であり、また1号店のオーチャード店は旗艦店として何度も改装が行われた。運営会社はシンガポールヤオハンである。

一方でヤオハン末期には赤字を垂れ流した連結子会社の一つであり、経営危機が判明してから比較的早期に店舗閉鎖が行われている。

ヤオハン・ジャパン倒産後はその動きが早く、連鎖的に倒産。最終的に全店舗が閉鎖し、清算されることとなった。例えばカトン店は現地系スーパーと西友が買い取って、閉鎖翌月(1997/12)に店舗を再開している。

少々複雑なのがシンガポールIMMである。
そもそもIMMとは何ぞやという話をすると、「インターナショナル・マーチャンダイズ・マート」というものであり、これは「卸売業者を集め、アジア全域の小売業者を対象とした商業施設」であるそうだ。

商品供給拠点として、「小売業者のみを対象とした会員制」であり、ベスト電器やオートバックス、鈴与など日本の事業者も含めた商品を小売業者向けに販売する問屋の施設として開設されたようである。割合としては日本とシンガポールの事業者がが約30%ずつ、他が東南アジアの他国が占めていたようだ。

こちらのIMM、シンガポールヤオハンとは別会社であり、出資比率がヤオハン系で70%、あとの10%をイズミ、レック、シンガポール政府が引き受けていたようであるようだが、のちに上場した。

当然ヤオハンの倒産の影響はもろに受ける。しかしながら、ヤオハンシンガポールと異なりすぐに倒産する状況ではなかったようで、一度市場取引が停止されたものの、再開。

さらにややこしいことに、上場持ち株会社のIMMホールディングス(不動産所有?)と上場子会社のIME(中のSMなどの展開?)が存在していたそうである。IMEは「上場枠確保のための買収」を受けることとなり、全事業をIMMに売却。
その後IMMは追い切れてないものの、おそらくどこかに売却されたものと思われる。

「IMM」と名の付く施設は今も残されていて、ただの(?)アウトレットモールとなった。ベスト電器やダイソーなどが現在も入居しているとのこと。

③コスタリカ(1977~2000年代初頭?)

展開店舗
サンホセ店(1977~2000年代初頭?)

中米のコスタリカである。
「なんでこんな国に?」と思われたかもしれないが、どうやら当時は中米のスイスと呼ばれるような、平和な国であったようだ。
(しかしながら、今は難民問題などの影響で、治安が悪化しているようだ)

八百半が70%、現地のデベロッパー30%という出資比率で設立され、最初から最後まで1店舗のみでの営業であった。もっとも、中米の他国に進出すること前提で作られた店舗ではあったようだが。

さてこちらの店舗、なんと2001年あたりでは存続していたようである。
以下は2001年に世界一周したことを記録したブログであるようだが、確かにジャパン倒産後にヤオハンと名の付く店舗が残されていた。

英語で検索すると別の情報が見つかり、どうもMore x Less chainに売却されて、現在はMasxmenosというスーパーになっているそうである。

Masxmenosは現在3店舗あるそうなので、これのうちのどれかがヤオハンなのだろう。


④アメリカ(1979?~1999)

展開店舗
・フレスノ一号店(1979~1980年代後半)
・フレスノ二号店(1983~1991?)
・トーランス店(1983~1990?)
・フレスノ(三号)店(1984~1980年代後半)
・リトルトーキョー店(1985~2009)
・サンノゼ店(1988~存続)
・ニューヨーク店(1988~存続)
・コスタメサ店(1989~存続)
・(ニュー)トーランス店(1992~2020移転)
・サンゲーブル店(1991~存続)
・シカゴ店(1991~存続)
・サンタモニカ店(1992~存続)
・サンディエゴ店(1993~存続)

自由の国アメリカに進出したのは1979年…と言いたいところなのだが、実はヤオハン側の資料だと1976年になっていたりする。今回は日経新聞の記述に乗っとるが、とりあえずアメリカの店舗は推測に推測を重ねることとなった。

まず現在も存続している店舗があることに衝撃を覚える方々もいるだろう。こちらはミツワマーケットプレイスというスーパーとして存続している。

後述するが、あまり日本のヤオハンとアメリカのヤオハンにはほとんど資本関係がなかったため、そこまで破綻の影響を受けなかったというのが実情である、しかし、破綻から再生中の日本のヤオハン(=ジャスコの傘下)の時に、「ヤオハン/Yaohanの商標はうちが持ってるからヤオハンの名前を変えろ」と言われたらしい。

さて、最初の進出はフレスノであり、こちらに小型の店舗を3店舗設置した。その後ロサンゼルス郊外のトーランスにも小型店を出したところまでは割とスローペース。そのあとはロサンゼルスのリトルトーキョーの進出を皮切りに一気にシリコンバレーのサンノゼ、ニューヨーク、トーランス(建替)、コスタメサ、シカゴなど、アメリカの多くの都市に進出した。

なお、業態としてはのちに言う「日系/アジア系スーパー」であり、当初から現地の日本人、アジア人をターゲットにしたものであった。ヤオハンは欧米では、基本的に東洋人以外はターゲットにしていなかったようだ。

ミツワマーケットプレイスとなってからは、リトルトーキョーのみ閉店した以外は、基本的にヤオハンの店舗のまま営業している。(トーランスのみショッピングセンター内に移転)
日系人が比較的多いテキサスホノルルに出店するなど、順当に日系スーパーとしての道を歩んでいる。

⑤香港・マカオ

展開店舗
・沙田店(1984)
・屯門店(1987)
・黄埔店(1988)
・荃湾店(1991)
・元朗店(1992)
・藍田店(1992)
・天水圍店(1993)
・将軍澳店(1994)
・NEXTAGE馬鞍山(1996)
※1997年に会社清算を申請し全店閉鎖、1998年初頭に一瞬だけ開けて閉店セールをして完全に消滅
・マカオ店(1992~2008)

ヤオハンの海外進出中期の核であり、「国際流通グループヤオハン」の本部が置かれていたのが香港であった。なお、国際流通グループヤオハンというのは、「勝手に言ってただけ」、具体的に言えば何か法人があったわけではないということに注意が必要である。…強いて言うなら、和田一夫夫婦が住んでいたところであるのだが…

(のちのち、ヤオハン・インターナショナル・ホールディングスなどのグループ本部のように見える法人が別に香港に設立された。ただこれもヤオハン・ジャパンなどの各社とはまた資本関係がほとんどないみたいなことになるので難しい…)

進出当時の香港の状況として、香港(とマカオ)返還が1997年に控えており(実際、ヤオハン破綻直前に返還を迎えている)、今よりもさらに社会主義色がまだ色濃かった中国のものになることに、多くの西側諸国は警戒していたところである。一国二制度方式の導入により、当面の間の資本の安全が確保されたことで、のちにまた進出は活発となったが、この警戒されていた時期に進出を行ったことで、香港においてブランドと人脈を築くことに成功したのである。

業態としては主に大型店、百貨店と言ったものが殆どであり、狭い香港でこれだけの店舗を築きあげたことは特筆に値するべきことであろう。

香港におけるヤオハンブランドとは、もはや香港を象徴するものであったと言っても過言ではなく、


中国の有名(らしい)歌手が香港返還の楽しみを歌う曲の中にヤオハンの名前が登場してしまうほどであった。

一方で香港の店舗は、前半こそイケイケドンドンで進出していたものの、後半に失速し、むしろ赤字生産機と化していた(実際、末期は3期連続で赤字であった)。最後の馬鞍山店なんかは散々だったらしく、そもそもウォルマートなどが香港に進出した際に「香港において郊外店は成功しない」とヤオハン側が述べていたのに郊外店を出店し失敗。自らの発言を助長する結果となってしまった。

ヤオハンジャパンと直接の資本関係はなかったため、当初は切り離してでの生き残りを模索していたものの、それはかなわなかった。結局赤字製造機であった香港で生き残ることは困難だったのである。日本よりかはましな状況であったようだが、日本事業の債務保証を行っていたこともとどめを刺す結果となってしまった。どちらにしろ、遅かれ早かれなくなる結果となっていただろう。

しかし日本と違い、スポンサーが見つからなかったことは不運であった。跡地は複数店舗がジャスコが購入したものの、それはスポンサーではなく、単純な商取引である。

少々長くなったが、マカオの話も忘れてはならない。
マカオはこちらも地元・香港の企業とともに進出し、1店舗を構えていた。ただ資本的には香港と同じだったらしいので、こちらにまとめている。

しかしながら、マカオのヤオハンはその後マカオ企業が購入し、ニュー・ヤオハンとして再出発を切ったのである。日本含め他のヤオハンとは全く関係ない店舗として、しかし「ヤオハン」の腑に気を世界で最も色濃く残す店舗として、営業を今日も続けている…が、どうやら2008年には移転しているほか、ホテル内に分店を設けるなど、細かな変化は続いているようである。

…と、ここまで書いてきたが、なんかnoteが明らかに重くなってきたのでここでいったん打ち止めとする。この調子で行くと、多分前編中編後編になりそうな雰囲気。

予告としては以下のとおりである。

⑥マレーシア
⑦ブルネイ
⑧台湾
⑨タイ
⑩中華人民共和国
⑪カナダ
⑫イギリス
⑬日本
⑭計画のみで終わった国

気長にお待ちください。

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