回転寿司の回転の意味合いは変わりつつあるという話

先日久しぶりに回転寿司に行った。くら寿司である。
本当に久しぶりで、僕の記憶が正しければ5年ぶりくらいではないだろうか。勿論その間寿司を食べてなかったわけではなく、出前を取ったりツテを辿って回らない寿司には足を運んでいた。というより、恐らく生涯でも回らない方を食べた回数の方が多いのでないか。

そんな僕が昨日夕餉に足を踏み入れた回転寿司は、いやはやなんというか別世界であった。
何せ、すべて従業員を介さない形なのである。以前訪れた時はあくまで従業員の接客の一部に、注文を始めとしたタッチパネルが介在していたような印象を抱いた。だが、今やAIが運営しているような様相を呈しており、従業員が客の前に姿を現すことすらない。

そうして席に着くと、また驚くことがあった。
注文に際してタッチパネルを操作することのみならず、QRコードを読み取れば個人のスマートフォンでも可能になっていた。これにより複数人で訪れた際にもタッチパネルに群がることなく、各々が自由に注文が可能というわけである。
また、心なしか注文が届くのが以前より早くなったような気がする。受付が必要なくなった分、厨房にリソースを割けているのではないだろうか。

大手回転寿司チェーン店のこうした工夫は、概ねコロナ禍や外食テロを経て解決策として導入されたものであろう。結果として我々は人ではなく、機械に向かうことによって飯にありつける仕組みとなっている。
我々としても手間が減って便利になったものだが、何故だか注文をする際にはいやに忙しなく感じる。手元にスマホがある以上、我々はタッチパネルにむざむざ手を伸ばすことなく注文ができるわけだが、それは同時に個人がそれぞれ注文の権利を常に保持していることでもある。この状況が忙しなさを掻き立てるのだろうか。
そうした常に「個人に注文の権利が存在する状態」であるからか、はたまた昨今の外食テロの影響なのか解らないが、最早回転レーンを回る寿司を取る客は誰もいない。今や回転寿司は原義を失い、アトラクションの一部でしかなくなっているのである。このレーンにちいかわでも流した方が興味本位で訪れる客も増えるのではないか、と疑問を呈したくなるほどだ。

しかしその分、
客は待つ時間が少なくなった。
注文が早く来るようになった。
店の滞在時間が短くなった。
これが何を意味するか?

そう、レーンではなく、客が回転するようになったのだ。2020年代にとって回転寿司とは、入れ代わり立ち代わりの激しい食とエンターテインメントのアミューズメント・パークなのである。くら寿司場合は特に「びっくらぽん」なるガチャゲーム要素がそうさせている。どこかのラーメンハゲではないが、我々は情報を食っているのだ。

もし僕のように近年回転寿司に赴いていないユーザーがいるのであれば、是非一度興味本位で訪れてみてほしい。次世代系外食ビジネスのマネージメントを垣間見ることができるだろう。



おまけ:貞操帯のついた汁物

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