やる気欲しすぎ大問題
最近(「最近と言っても、ここ7年ぐらいそうなんですけどね~(18KIN今泉)」(誰も覚えてないだろこのネタ))とにかく気力がない。
鬱勃としている。
読んでもらいたいがための冒頭のつまらないボケはさておき、僕は永い間とにかくやる気が出ないし、およそ集中力というものがない。そして最近は特に酷い。というのも、僕は記憶力だけはいいと自負しているにも拘らず、散漫すぎる注意力がそれを上回ってしまい、ついさっきまで考えていたことが何だったか忘れてしまうようなことを毎日繰り返しているからである(今この文章を書いている最中もまさにそうである。プロットなどなく、文脈が散乱していくのだ)。
厳密に言えば僕の「記憶力がいい」のそれは人より脳味噌のHDD容量が多いだけであって、遥か下にある階層のディレクトリに格納されている記憶は当然読み込みが遅くなりすぐには出てこない。その上、折角の容量というアドバンテージを、僕は歯牙にもかけない知識ばかりに使ってしまった。幼いころからインターネットを使いすぎて知的好奇心が全てそこへ働き、やがては情報を貪り食うだけの饕餮と化したのである。多分『山月記』とかなら虎になっている。
故に大して記憶力も役に立たないわけで、人間の脳をPCに置き換えるというのはなるほど誠によくできた凡例だと感心する。
そんなわけで、僕は漠然とした危機感を常に抱いている。そうした悩みもまた、僕というCPUの動作を重くして、集積回路が意味を成さなくなる。
ある日、通院している心療内科の医師にこんなことを問うた。
「僕はとにかく意志が弱くて、気力がない。何か有意義なものをやろうと考えても、体は一向に動いてくれない。どうしたらいいのか?」
医師が口を開いた。
「貴方は真面目過ぎる。もう少し気楽に考えた方がいいのではないかね」
真面目過ぎる、か――
確かにそうかもしれない。僕は、普通の人間がすぐに忘れてしまうような出来事を必要以上に抱え込んでしまうフシがある。現に僕は何の責任も持たない人間が、上層の人間を自分と同じ場所へ追いやろうとするムーブメントがうんざりで、日々ここのところのインターネットに対して憤っている。性善説論者の僕にとってはとかく生きづらい世の中でもあるのだ。
そうやって「負債」を溜め込みすぎた結果キャパオーバーを起こしてしまい、動作が重くなる。意志薄弱なのは、こうした負の側面ばかりが自分の中で「体験談」として残ってしまい、踏ん切りがつかないからなのだろう。理屈ではとてもよく理解できる。
しかし、残念ながらいくら思考が道理に適ったとて、本能がそれを拒否してしまうことはままある。ここは人間とCPUの大きな違いである。
自分にはどうにもならない、得体の知れない何かが理屈で持って体を動かすことを拒む。そしてまた自己嫌悪に陥る、という鬱くしい悪循環である。いくら真面目だったとて行動ができないのなら何も意味などないではないか。
だから、僕は「上の人間」に羨望を抱くのだ。
ここでいう「上の人間」とはクリエイターのことである。クリエイトする種類は問わない。どんな役に立たないばかばかしいものでもいい。寧ろその方がいい。どのような形であれ、一心不乱にコンテンツに情熱を注ぎこみ、同じ意志を持つユーザーと協力して、多くの人々に愛される作品を作っていく……なんて素敵なことなんだろう! 常に無気力と孤独が蟠りになって拭えない僕にとっては、これ以上の人間としての価値の表現はないように思えた。
僕はTwitterを2014年に始めて、新参だと思っていたら早10年が経っていたのだが、これだけの期間があるとフォロワーの中で有名になる人間も増えてくる。中には現代インターネットカルチャーの旗手と言えるほど目覚ましい出世を遂げたユーザーもいるのだが、ここでは出世の程度というより、先述のように好きなコンテンツに情熱を傾ぐさまがとにかく輝いて見えて羨ましいのである。
自分にないものを羨ましがるのは人間として理の当然である。しかし、僕がここまで孤独だなんて聞いてないんだ。隣の芝生は青いのに、僕の庭にはぺんぺん草すら生えてないのである。
そこで僕は考えた。
クリエイティビティが高い集団に漸近して観察すれば、自ずと気力の原点が見えるのではないか、と。
隣の芝生が青いのならお邪魔してみればいい。
そうしてチョイスしたのが、音MAD界隈だった。
選んだ理由については、僕がそれなりに長いことニコニコ動画ユーザーであり、Twitterでもある程度動画投稿者の知り合いがいることがひとつ。
もうひとつは、語弊を恐れずに言えば音MAD界隈が「全力でバカをやる」力に長けている集団だと思ったからだ。これが具体的に何を指すかについては説明にしにくいし、調べた方が早いので割愛するが、僕はあらゆるものをエンターテインメントへと昇華させることのできるコンテンツが音MADだと思っている。このエンターテインメントというのはもちろん笑わせることもそうだが、泣けるものだったり、怒れるものだったり、感情が動くこと全般を指している。僕とて人間だから、感情が動けばそれなりに突き動かされるものくらいある。そして、その作者たちはそれができるだけの気概が備わっていると思うのである。
加えて最近はAIの発展等々により音MADの技術にシンギュラリティが起きており、より大規模で音だけではなく視覚に訴えるものも増えている。だから僕は今、インターネットで最もアツいコンテンツなんじゃないかと信じて止まない。
今はまだ実験途中なので何も言えないが、音MAD界隈に触発されて自分のクリエイティビティが向上してほしい、という希望的観測を持たせた状態を今回の跋文としたい。
自分を信じられずしてひたむきになれるわけなどないのである。
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