友人Sの話
18歳だか19歳だか…の若かりし頃の私の話を少し。
もう何度もこれまでのnoteで述べたことと重複してしまう箇所があるのは申し訳ないが、初めて私のnoteに触れる方々がいると思うので、そこは御愛嬌ということでヨロシク。
20歳目前の私は、大学進学を機に長く夢見た一人暮らしをしていた。
そこで某バンドを知り、のめり込んだ。今で言う「推し活」というやつだ。
ファンが作った個人ホームページで交流したり、前略プロフィールやらアメブロに力を入れた。
あまりライブやインストアイベントなどが多くないバンドだったこともあり、「ファン」としての活動は音源を買うこととそのような個人的な交流が主だった。
この時期と同時期にネットで知り合ったファンがもう1人いる。
彼女とは仲良くなるのに時間はかからなかった。
家はお互いに知らなかったが電車で1時間くらいの場所ということは分かっていた。歳も同じだった。
当時の自己肯定感の低さもお互いに同じくらいの低さだったからネガティブな視点は共感できることもあった。
ライブでもイベントでも何でもない日に私がリアルでめちゃくちゃ会ったファンは上記の兄ちゃんと友人Sの2人だけだ。
友人Sの家庭環境は話に聞く限りでは芳しくないようだった。
親からの扱いが酷いと思った。彼女を取り巻く周りの人たちも酷いと思った。
一人暮らしで自由を手に入れた私には、いくら一人暮らしを提案してもそれに向けて行動しようとしない友人Sの考えは分からなかった。
そんな親でも友人Sにとっては側にいたいくらい大切なんだろうな、と思ったから一人暮らしの良さを熱弁しても意味が無いと思った。
何をしても駄目なんだという友人Sの愚痴や自己嫌悪には終りが見えなかった。
私も最初は「慰めなければ!」「そんなに自分を卑下しなくてもいいじゃん★」と心から思っていた。
でも話を聞けば聞くほど、私も深淵へと沈んでいく感覚を覚えた。
私がどれだけ彼女に向けて言葉を発して手を伸ばしても、彼女の心はその手を取ってくれなかった。
いくら大好きな友人であっても私自信を守るための適度な距離が必要だと学んだ。
(後に私がエンパス持ちだということが分かったけれど、時、既に遅し。)
ある日の夕方だった。
ファミレスで話を聞いてほしいと言われ慌てて向かった。
内容はもう忘れてしまったが、多分友人Sの自分に対する怒りや悲しみや周りへの怒りなどだった気がする。
私が何を言ってもネガティブ沼から出て来られなかった友人Sは、何かが気に入らなかったのか私の言葉に反応して私に暴言を吐いた。
それは決して罵声ではなかったのだが、私の心をグルっとナイフで抉り取った。
「だってMIZUHOは可愛いじゃん!
ブスの私の気持ちなんて分かるわけないじゃん!」
当時、言い返した自分の言葉もセットで覚えている。
「Sは私のスッピンを見たことあるのか!?無いだろ!?
私だって自分の顔に自信無いから塗りたくって努力してんだよ!
Sは自分の気持を分かってほしくて今までたくさん愚痴ってるんじゃん!
それなら、私の気持ちだって少しは分かる努力をしろ!あまりに自分勝手だ!」
多分、あれから20年の年月が経った今の私でも同じ言葉を放つと思う。
片道1時間(往復2時間)の移動時間とファミレスでの愚痴聞き3時間。
交通費も食事代も全て自腹で身銭を切って話を聞いている私に対して、何の礼節も感じられなかった。
友人Sの心の闇を聞くのは私ではなく専門家では!?と、この時、割と本気で思った。
医療的な知見のある人に任せてこの大きな子どもを投げ出したいと思った。
それから友人Sはメイクをしてみたいと言った。私に教えてほしいとのことだった。
私はその度にまた週末に片道1時間の距離を移動し、自分のメイク道具を使わせ、大まかな流れや方法を教えた。
好きな色・似合う色は私と友人Sでは異なったため、そういう色のついたアイテムはドラッグストアなどで試して買ってみてね、とアドバイスした。
毎日は会えないので定期的に会ってはいたが、その度に友人Sのメイクは上達していった。
質問や疑問をぶつけられることもあり、「あぁ、本当に練習してるんだな」と嬉しくもなった。
勿論、いくら忠告や注意をしても愚痴や自己否定の言葉が彼女の口から消えることは無かったのだが、もう、そういう生き物なんだなと割り切ることにした。
ある時、友人Sから悪徳業者に引っ掛かって多大な請求をされたと相談があった。
私の出る幕ではないと直感で思った。
彼女の人生の責任を負うには内容が内容だけに軽はずみな言葉は言えなかったし、私には何の知識も無かった。
狡賢い大人たちに適うわけがないと分かっていた。
友人Sは嫌がったが、相談する相手は私ではなく親ではないかと諭した。
またある時は友人Sに彼氏ができたという報告があった。
どんな人なのか私はお会いしたことがなかったけれど、話で聞く限りダメ男だなと思った。
自分もダメ男としか縁のない恋愛ばかりで説得力が無いと思っていたため、
「そんな人はやめときな!」とは強く言えなかった。
結局、友人Sはヤリ逃げされて中絶費用を自分で払い、身も心もボロボロになってしまった。
婦人科から泣きながら電話で私に悲しみと辛さを溢した。私には何も出来なかった。
そしてしばらくして、その相手と復縁したと報告があった。
嫌な予感しかしなかったが、私の言葉に耳を傾けない友人Sだから、私の不安感もどこ吹く風という感じだった。
自分に自信が持てた、という恋する乙女に向けて何が言えるだろうか。
数ヶ月後、また中絶をし別れることになったと報告を受けた。
私は開いた口が塞がらなかった。
何をどう言えばいいのか分からなかった。
古くからの友人に、私は友人Sのことで愚痴を溢した。
この友人は直接友人Sと会ったことはないのだが私の話す人物に興味を持ってくれた。
そしてほんの些細な興味から友人Sのプリクラや写真があれば見せてほしいと言ってきた。
私は「最近メイク頑張ってるけど初心者だから、何か思うところがあっても悪くは言わないであげて」と前置きをした上で
携帯の中にある、最近撮ったばかりのプリクラを見せた。
友人はツケマをバシバシ動かしながら画面を見て、やや動揺したように口を開いた。
「MIZUHOと私は長い付き合いだし、色々とお互いに良いことも悪いことも知ってる仲だから言わせてもらうけれど、
私は面識の無い友人SよりMIZUHOのほうが大事だから言わせてもらう。
鬱で闘病中のMIZUHOには、とても荷の重い相手だと思う。自分を優先してほしい。
だってこの子、画面越しでは分からないけど、ちょっと障害…」
「何も悪く言うなって言っただろ!?まぢで怒るから!!」
「…ごめん。」
「怒りたかったわけじゃない。怒鳴ってごめん。」
私は友人Sを対等に見て、対等に接したかった。対等に接してほしかった。
めちゃくちゃネガティブの塊な友人Sでも私と出会って、私が色々と吹き込んだり連れ出したりした結果、出会った当初よりだいぶ変わることが出来たと思う。
めちゃくちゃ失敗しまくって、どうしようもないなと呆れる場面も多々あったけれど、彼女なりに悩んで泣いて私に愚痴を溢し、時々私に喝を入れられては足掻いたのだ。
素人の私は彼女にとっては優しいカウンセラーになれなくてごめんだったけれど、そもそもカウンセラーになろうと思ったわけじゃなかった。
友人としてスタートしたのだから、私はずっと一人の同世代の女として、対等な友人でいたかった。
彼女に限らず、私の周りの人には私の顔色を見て言動を私に合わせてほしくもなかった。
だから片道1時間の呼び出しにイライラしつつも、彼女が他人を振り回せるくらいの図々しさをやっと掴めたかという変な喜びもあった。ドMか。
友人Sとはその後も様々な話をしたけれど、喧嘩別れのような最後だった。
運命の交わりというと、よく男女で引き合いに出されがちだが、友人なり知人なり万人に当て嵌まることだと思う。
友人Sと私の運命はバンドをキッカケに交わり、互いの成長過程や価値観の違いで離れたようなものだと思う。
私が東京に上京することを決めたからだ。
「私がいなくなっても、私が悔しがるくらいSは幸せになりなよ」
「分かってるよ!MIZUHOに自慢できるくらいの自分になるから!」
「私の顔を見て言い返せるようになれるだけ進歩したじゃん!その時を待ってる」
「がんばる!バイバイ!」
「お互いね。バイバイ!」
生温い適当なオブラートに包まれた優しい言葉ではなく直球ストレートの言葉を欲した友人S。
私と彼女との会話は、何も知らない第三者が傍から見れば喧嘩なのかと捉えかねないものだったかもしれない。
今よりトゲトゲしく、自分も社会も信じられないという反骨心が強かった私なりの愛だった。無骨な愛だった。
あれから友人Sとは音信不通になっている。
でもそれで良い。
また必要な時に運命が交差すると、ちょっとスピリチュアルめいた事を期待しているから。
何となくSNSで彼女の名前を調べたらアカウントがヒットした。
友人Sはきちんとした医療機関で診断名がついて、心が軽くなった様子だった。
適材適所という言葉のあるとおり、彼女に適した環境で就労もできている様子が綴られていた。
友人S、勝手にnoteのネタにしてごめん。
見付けたら連絡してよ、消すから。
友人S、生きやすくなった社会はどうだろう。
君が自分らしくいられるのなら私は嬉しい。
メイクも服も考え方も行動もどうしようもなかった君は馬鹿正直に人を信じすぎてしまうから、これまでたくさん騙されてしまったと思うけれど、そんな君を見捨てることの出来なかった私もまたお人好しなのだろう。
私はそんな馬鹿正直でお人好しな人間が多分大好きなのだろうと思う。