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宗教○世

私は母親が寺の家系だ。
私の生まれるずいぶん昔に当時住職だった祖父が他界し、跡継ぎが居なかった祖母は娘である私の母を連れて寺から出た。
住職に跡継ぎが居ない場合、残された家族が寺から出るのは宗教問わずにそうそう珍しいことではないらしい。

後に母が仲人さんからの紹介でお見合い・結婚をした相手(私の父)はお寺とは何の関係もないサラリーマンだった。
父と母は同じ宗派だったこともあり意気投合したのだろう。
両親が信仰心が高めなので、私も幼い頃からその影響を少なからず受けてきた。


私が小学生の頃、祖母は訳あって長年住んだ地を離れて私たち家族と同居した。
所変わっても長年の習慣が染み付いていたのか、彼女は生涯に於いて贅沢を好まなかった。質素倹約の人だった。
祖母は晩年の介護生活が始まるまで朝晩必ず仏壇の前に正座し信心深く勤めていた。
半紙と墨で写経したり読経したり…とても真面目な人だった。
母も幼い頃からその後ろ姿を見て育っていたため、私に対しても祖母から受けたであろう同様の教育をしようとしたと思われる。
幼稚園に行く前、毎朝仏壇の前に正座をさせられた。
意味の分からない呪文めいた漢字の羅列の言葉を母親に続いて声に出すよう教え込まれていたことは30年以上経っても覚えている。

困ったときにはこの呪文のような言葉を心の中で唱えなさい、と祖母からも母からも父からも言われて育ってきたので、ずっとそのようにしてきた。
まるでオマジナイだと思った。
私が18とか19の頃に痴漢に逢ったときも、
見知らぬ男に拉致されて車に乗せられホテルに連れ込まれたときも、
交通事故に逢ったときも…
心の中でやはりオマジナイとして唱えていた自分がいた。
私の人生で起こった数々のアクシデントで、オマジナイが私を救ってくれたことは一度もないけれど(殺されたり死ななかったりしたことが最大の救いなのかもしれないけれど)、
例えそれが一種の刷り込みであっても、私には親を責めることはできなかった。
やはり幼い頃からの愛を盾にした刷り込みは多少なりとも私の心の支えとして必要だったのではないか…?とも思う。
少し歪んだ愛だったとしてもね。


数年前に宗教2世問題が表面化した時、世の中には自分と同じような境遇の人たちがいることを知った。
自分の中の「好きでこんな家に生まれたわけじゃない!!」という気持ちが少しは救われた気がした。
ここまで書いておいて何だが、私は親のことも親族のことも好きなのだけれど宗教的な一面ではそうとは言い切れないでいる。

これまでも私は友達や恋人、今の夫にも自分の生まれたバックボーンは隠していない。
自分が好きで信仰し始めたわけでもないので、むやみに人に信仰を勧めたことも勿論ない。
まぁ、初対面で言うのは仰々しいのでサラっとカミングアウトするようにしているけれど。
仮に「宗教信仰の家庭に生まれ育った」ことだけで私を気持ち悪がり離れていく人たちとは私だって長い付き合いは出来ないし。
時間は有限だからお互いの為に使いましょう、と思うくらい。

以前書いたコレ
実はこのnoteの布石として書いたものだ。
無宗教の人よりかは宗教じみているけれど敬虔な信者とまではいかない中途半端な私。
宙ぶらりんながら、何かを信じたい。何かにすがりたい。助けてほしい。
そんな気持ちはあるけれど、結局自分自身でしか自分の人生は切り開けないとも思うので、やはり私にはありがたいお経はオマジナイ的な立ち位置になってしまう。
(言うまでもなく、熱心な宗教家の方々を否定しているわけではないので悪しからず。
皆様どうぞご自身の思うままであってください。)



そんな感じで物心付いたときから色々と過干渉だったり過保護だったり…という今でいうモンペ・毒親の類いの親だったので、ティーンエイジャーの私の反抗期は激しかった。
社会にも親にも常に苛立ちを抱えて怒っていた。
「私は親のあなたたちのように信心深くはない!!心の在り方まで強制しないで!」
とアピールしまくっていた記憶がある。
まぁ、その甲斐もあり今では両親共に私の信仰心の無さには触れないでいてくれる。
私の場合、親との仲は険悪ではないが距離感が大事なのだ。
18で早々に一人暮らしを始めたのも、既に小学生の頃から「一人暮らしがしたい」と頑なに親に伝えていたから出来たことだと思う。
教育虐待の話はまた後日にしようと思うが、それでも悔しいかな、やはりピンチなアクシデントが起こったときには心の中で、あの頃に正座しながら覚えさせられたオマジナイを未だに唱えている。


数年前に父方の祖父が他界したことを機に、色々な親族と昔話をする機会があった。
殆どは私の知っている祖父の姿だったが、私が生まれる前の祖父に関する話を耳にして衝撃を受けた。
それは父が宗教を信仰するようになったいきさつだった。
私はそれまで、父は偶然自分にぴったりな宗教と出会って、父の意思で信仰するようになったと思っていた。
そこで母とお見合いをし、結婚し、私が生まれたと思っていた。

でも実は違った。
亡くなった祖父が親族で一番始めに熱心に信仰するようになり、とても良い教えだから…と家族にそれを勧めたというではないか。
宗教2世は父だったのだ。
私は宗教3世だということに気付いてしまった。

誰しも皆、最初から柵(しがらみ)に捕らわれていたわけではないはずだ。
苦しみや悩みを何者かに救ってほしかっただけのはず。
まさかその純粋さや心の渇望が子や孫を縛り付けるものになるとは思わなかっただろう。
別に今更祖父や両親を責めているわけではない。反抗期の頃の無尽蔵な怒りのパワーは今の私にはもう無い。
けっこう私も丸くなったのでね。

ただただ、誰かに信仰を強要すること・されることのない未来を望む。
何を信じるのかは個人の自由に委ねられて尊重して(されて)ほしい。
生憎、私には子供がいないので親族から守るべき存在がいない。
「宗教○世」という我が家の柵は私の命と共に静かに終わるのだ。
血筋を途絶えさせる哀しみと、誰かの心を巻き込まずに済む嬉しさのミルクレープのような日常をもう少しだけ味わおう。

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