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あの時

久しぶりに、書きたいと思います。

私は現在、大学最後の1年を迎えようとしています。
というかもう既にラスト1年がスタートしました。

そんな時、両親から祖母が病気でもう長く生きられないということを知らされました。
正直祖母は90歳をとっくに超えていて、その歳にしては元気で、物忘れも激しくなり入院した時には名前を思い出せないこともありましたが、すごく元気な祖母です。
そんな祖母がもう長く生きられないと知った時、私の中に後悔が浮かびました。

「あの時」というタイトルは、その後悔を表したものです。

あの時、「晩御飯食べて帰り」という祖母の誘いをなんで毎回断ってしまったのか。
数少ない祖母と過ごせる時間をなんでもっと大切に出来なかったのか。

私は祖母にとって、決して悪い孫では無かったと思います。
でも、もっとちゃんと考えていればよかった。
自分に相当なことがない限り、祖父母や両親は寿命がきて、先にいなくなってしまう。
そんな当たり前の様なことをなんで、
わかっていたはずなのに、

"大切なものは失ってから気づく"
そんなありきたりなものではありませんが、
そんなありきたりなことができない、気づかないのがまた人間だと思います。

残された時間がどれくらいあるのかはわかりません。でもその残された時間だけでも、祖母が幸せに感じれる瞬間を、生きててよかったと思ってもらえる瞬間を増やせたら

正解はありませんが、自分が出来ることは全てやりたいと思う。
あと何回会えるのかな
色々考え出すと不安になる
でもせめて祖母の前では笑っていよう。

別れはきっと多くのことを学ばせてくれる。
人生において1番大事な
"今"という時を大切にすること
そばにいてくれる人を大切にすること
辛いけど人生に必ず別れがある意味は
そういうところにあるんだと思う。

明日祖母に会いに行こう。
そしてたくさん話して
いつものように同じ話を繰り返して
一緒に祖父と父の喧嘩がしょうもないと祖母と2人で愚痴を言って
それでも自慢の息子だという話を聞いて、
一緒に過ごせる時間を少しでも長く

自己満足かもしれないけど、それでも
自分ができることは全部やってあげたい

いつか周りにいるどの人とも別れが来る
それは生きていく上で避けては通れないこと
だからこそ大事なことを忘れてはいけない
今会えることは当たり前じゃない
今できていることがいつできなくなるか
なんて誰にも分からない
明日死ぬかもしれない
"明日死ぬかのように今日を生きろ"だったかな
ありきたりに聞こえるけど
本当にその通りだと思う。

もしこれを読んだ人がいたら、一度考えてみて欲しい。
別れに限らず、自分の夢でもそう。
明日事故をして一生スポーツが出来なくなる身体に
なるかもしれない。
もしそうなったら、
今日の自分は後悔なく過ごせたのか?

毎日その繰り返しだと思います。

人生に起きる全てのことに意味がある。
それをどう捉えるかは自分次第。

自分次第でこの先はどうにだって変えられる。



拙い文章ですが、最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

また、書きたくなったら更新していこうと思います。


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