武装?!なぜ?
今日は私が武装を始めるきっかけとなったエピソードを
ここに書こうと思う。
何故私がありのままで生きることをせず、鎧を着たのか?その始まりの話。
「感受性の強い子」
物心ついたころにはそう言われていた。
例えば、親戚の家族が遊びに来て家族ぐるみでどこかへ一緒に出掛けたり、楽しい時間を共に過ごした人とのお別れの時が大変だった。
とにかく泣く。ギャン泣きする。悲しい気持ちが泣けば泣くほど盛り上がって止められない。泣かれた相手も困るし、周りの大人たちが困る。
あの手この手でなだめられてもその悲しみがどんどん膨らんで涙が止まらず過呼吸になってしまう。その様子に半分呆れる母と苛立ちさえ見せる父。
父は普段私をとても可愛がり、私も父が大好きだった。
私は父と毎晩寝る時にキスをしたりハグをしたりひとしきり儀式を済ませないと布団に入れなかった。
特に大好きな父とは寝るだけでも離れがたい気持ちだったのを覚えている。
その時言われたのが「感受性が強い子」
特に人との別れの時に感じる悲しさは自分でもどうしようもなく身が引き裂かれるような感覚だった。
自分でもなぜそんなに悲しいのかわからない。ただどうやらその感情をそのまま出してしまうと周りの人を困らせてしまうらしいと幼い私は認知し始めていた。
そんな私に人生最大のお別れがやってくる。
大好きな父との別れ。
父は当時、度々海外に出張しており、出発の度にもう次は帰ってこないかもしれないという予感。
子供心に何かを察していたのか、理由はわからない。
ただただ襲ってくる不安。
そして、ついに父は帰ってこなくなった。
私は当時6歳。
残された家族は父が居なくなったことで、それまで専業主婦だった母が働くことになり家族が緊急事態となった。
そのことは幼い私にも理解できた。
そして周りの大人たちは、父親が大好きな感受性の強い私にできるだけ事態を隠そうとしてくれていた。
そんな母や歳の離れた兄姉が私のことで胸を痛めないように感じていることを隠し、明るく振舞った。
ただ、隠した感情は到底私が押さえつけられるものではなかった。
感情のエネルギーをコントロールできず、学校で仲良しの友人を叩いたり泣くまで責めたり所謂いじめを行なった。
自分が泣けないから人を泣かせていたのだろう。泣く人を見て発散させていたのだと思う。
その時の友人の心の傷を考えたら、今も胸が痛く本当に許されることではない。
当然そんなことをすると先生に怒られる。
そんなことをするのは家庭環境のせいだと言われた。
こんなことをしていては学校という社会で適合できないし、家族というコミュニティでも存在が脅かされる。
私はこの経験から2つの痛みを刻んで信念とする。
1つは
父との別れから「大切な人は自分から離れる」
2つ目は
「感情を表現すると人は自分から離れていく」
幼い私はこの痛みを二度と味わいたくないという強い思いから武装を始めた。なにかある度にその信念に基づいて行動し
「やっぱり、私の大切な人はいなくなる」という認知を重ね、鎧を強固にしていった。
そうしてイントロダクションで書いた「鎧の剣士」になっていくのだ。
(イントロダクションはこちら↓)
このように痛みの観点から幼少期のエピソードを表に出すのは初めてのこと。すごく抵抗がある。
嫌なことをする必要があるのか?という内なる声もある。
しかし、私はこの怪物を開放すると決めた。これは私の意志だ。
私が私とつながり
私を理解し
私という命を生きるための愛の塊なのだ。
この自分と向き合うことができた大きなきっかけと紐解きの様子はこちら
次回からは、いよいよこんな私が
分厚く付けた鎧を脱いでいく旅の話を書いていきます。