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『勝手口のスミレちゃん』Ⅱ 盛夏
「暑ぃ~い!💦 何で朝からこんなに暑いんだ」
二階の部屋で短パンの上に上半身裸になって
一人ぼやいていた
この時、宗太は高校三年生で
大学受験を控えた夏休みだった
「あぁ~ら、いらっしゃい、遠いところお疲れ様」
「ご無沙汰しています」
「暑かったでしょう、どうぞ中に入って」
一階の店の方で少し賑やかになった
この暑いときに誰が来たんだぁ?
「宗太ぁ~!ちょっと降りてらっしゃい!」
「うん?何か用?」
「いいから降りておいで、珍しい人が来ているよ」
宗太はぱっとTシャツを着て下に降りた
店の方からリビングに入ってきた女性がいた
ペパーミント・グリーンのスリムの綿パンにレモン・イエローのTシャツ
長めの髪をポニーテールに結って明るく活動的な印象で
目の回りだけ薄めの化粧をしている
自分よりは少し大人びた雰囲気
「誰だか解る?」と母親が言った言葉に反応して
その女性はいたずらっぽい微笑みを返した
その時女性の鼻っ柱にわずかに細かなシワが寄った
それを見て今度は宗太が反応した
「あっ、ひょっとしてスミレちゃん?」
「そうだよ!」
宗太の頭の中に物凄いスピードで昔の記憶がよみがえり
思わず駆け寄って抱き着きたくなる衝動を
宗太はかろうじて抑えた
それを見透かしたように母親が言った
「小さいころの宗太なら、駆け寄って行って抱き着いたのにね」
「大きくなった宗ちゃんなんて、とても受け止められません!」
とスミレちゃんが言うと、どっと笑いが起こった
「もう、おばあちゃんまで笑わないでよ」
宗太が拗ねたようにいったものだから、またどっと笑いがおこった
スミレちゃんは夏休みを利用して大学の卒業論文を書くために
久々にこの街に調査にやって来たのだ
宗太が暮らしているこの街は星野市天見ヶ丘(あまみがおか)
丹沢山地から流れ出た河川が広大な盆地を形成した土地だ
その盆地の中にポツンと一つだけ
取り残されたように小さな丘がある
高さは5、6階建てのビルくらいで
少し太った小さな富士山と言う感じだ
地元では古くから信仰の対象になっていて
『天見ヶ丘』と呼ばず『天見の丘』と呼んでいる
丘の麓には地元の氏神の天見(あまみ)神社があり
その隣には妙見(みょうけん)寺と言うお寺がある
スミレちゃんはその2つを取材し
出来れば『天見の丘』の頂上にも登りたらしい
それで道案内兼ボディーガードを依頼してきたので
受験生とはいえ一番時間が自由に使える宗太が選ばれた
幼馴染の弟分だからスミレちゃんも宗太もOKだった
宗太の家で昼食にと準備された素麵を食べた後に
二人は暑い中に肩を並べて出掛けたのであった
宗太は途中すれ違った同級生たちが
目を白黒させるのを見て内心優越感に浸った
事実、夏休み後に何人かの友達から
「あの綺麗な人は誰?」
と何回も聞かれた
話を戻そう
スミレちゃんが調べたところによると
天見ヶ丘と言う土地は源頼朝が鎌倉幕府を開いた時に
幕府の重職にあり、かつ京にツテのあった大江広元が
中務省陰陽寮から鴨の何某を招き
幕府内における陰陽師の職に就かせ
儀式のさい配や戦の吉凶を占わせ
その功績により相模の国の西端に小さな所領を得た
それが相模国足柄上郡星野郷だ
鴨何某の子孫は代々その地に居付き
占星と易を生業とし、周辺の実力者達に重宝された
定かではないが、この子孫の誰かが
武田信玄に易を伝えたとも言われている
また、この子孫は天の日・月・星をよく見ることから
近隣の人々から『天見の衆』と呼ばれるようになり
いつしか自らの姓を『天見』と名乗った
そして、天見の丘の麓に天の星々を祀る天見神社を創建した
と、ざっとこんな説明を受けて宗太は感心しきりだった
「大学の歴史ってこんな田舎街のことも勉強するんだね」
「最初はね、自分の家の先祖を探すつもりで調べ始めたの」
「私の苗字は『天宮』でしょ」
「子供のころに暮らしていたこの場所と何か関係があるのかな?と思ったの」
「でも、ウチのお父さんは関西の出身だし、つながりが判らないでいたの」
「それで今度は陰陽師や日本の占星術師の方から調べてみるとね」
「どうもそれらしいことに行き当たったのよ」
つまり、こう言うことだ
陰陽師の行う占星術や易学は江戸時代になると
一般庶民の中でも日々の生活で利用されるようになり
家を新築するにあたって縁起のいい日を
結婚式を挙げるにあたって良い日柄の日を
選ぶ習慣が広まって行き
それらの要望に応えて地域に一人は
ある程度の吉凶を占う者(専業ではなく兼業で)が存在するようになり
人々から天の星を見て占うことから『天見屋』と呼ばれるようになった
「どうもこれが、ウチの苗字の言われみたいなのよ」
「そして、『天見屋』では商売じみているから
カッコつけて『天宮』に変えたんじゃないか?」
「って、ウチのお父さんなんかは言っているの」
「つまり、朝廷や幕府お抱えの陰陽師ではなく」
「庶民派の占い師のようなものかな?」
「まあ、そんなところじゃないかしら。(笑)」
とスミレちゃんが自嘲気味に返した時にちょうど天見神社に着いた
天見(あまみ)神社は祭神を天之御中主(アメノミナカヌシ)とし
北天の中央にある星(北極星)を神格化して祀り
他に天照大神と月読命を明治以降に合祀している
神紋は三光と言って日月星の三つを俵を積むような形に配したものだ
普通は神道の中の最高位神は太陽神である天照大神であるのだが
この神社では天空の中心に位置し天帝の星である
北極星つまり天之御中主(アメノミナカヌシ)の方が
第一の祭神として祀られている
宮司の天見さんによると
神社の儀式はどこか大陸風で
代々伝わる宝剣も反りのある日本刀ではなく
両刃の直刀で唐風であるらしい
陰陽師の起源である中国の道教の影響が残っているのであろう
また、隣接する天見山 妙見寺は江戸時代初頭の創建で
天空の中心に輝く北極星を具現化した妙見菩薩を祀る日蓮宗の寺で
江戸時代に幕府の進める寺請制度を施行するにあたって
天見(あまみ)神社の星の神様を分霊し仏として祀ったのが始まりと言う
明治時代の廃仏棄釈の時にその存在が危ぶまれたが
地元の人達の努力で今日まで続いているそうだ
現在では子供が生まれるとお宮参りや七五三は神社
人が亡くなると葬儀はお寺
と言う風に使い分けているようだ
神社で宮司さんと話した後に
お寺のお参りを終えたころには
だいぶ日が傾き少し涼しくなっていた
それで二人は暗くならないうちにと急いで天見の丘に登った
頂上の中心に約2メートル四方で高さが30センチほどの石垣が組まれてあり
その少し手前に黒く焦げた焚火の後のようなものがあった
おそらく星祭の時の祭壇の後であろう
周囲の樹木は低く切り揃えられているのだろうか
360度に空と街が見渡せた
「夕焼けが綺麗ね」
「低い丘なのに遠くまで見渡せるね」
そう言って黄昏時の風と夕日を受けてたたずむスミレちゃんの横顔は
しっとりと艶やかな大人の雰囲気に見えた
じっと見つめていた宗太は
夕方になると誰もが感じる物悲しさ
淋しいような切ないような無性に甘えたくなるような感覚に陥って行った
そして、突然に「スミレちゃん!」
そう言うと宗太はスミレちゃんに横から抱き着いた
「こら、宗ちゃん暑いよ、離れて!」
スミレちゃんは少し驚いて宗太を押し返そうとしたが
子供のようにしがみ付いて
「僕はスミレちゃんがいなくなってからずっと淋しかったんだよ」
「こうやってくっついていると暖かくて安心するんだよ」
「何言っているの、ダメよ離れて!」
なおも離れない宗太に対して
真顔で冷静に語りかけた
「自分で何をしてるか解っているの?」
「あなたはもう小さな子供ではないでしょ!」
「もう立派な男性なのに子供みたいなことをしないで!」
スミレちゃんの剣幕に驚いて宗太が手を離した時
パシン!! とスミレちゃんは宗太のお尻を力いっぱい叩いた
「痛て!ごめんなさい」
と、宗太は反射的にあやっまった
しばらく無言の時間が流れた後
スミレちゃんが振り切るように言った
「さあ、帰ろう!」
「本当はここで星を見たかったのだけれど」
「暗くなるまでここに居たら変なことになりそうだわ」
「ごめんなさい」
とも一度言ってから
先に歩き出したスミレちゃんの後を追って宗太も歩き出した
「宗ちゃんね、私を好きでいてくれるのは嬉しいことよ」
「私達はお互いに一人っ子だから」
「小さいときから淋しさをまぎらすために何かと一緒にいたじゃない」
「親たちもいつしかそれが普通になってしまって」
「まるで本当に姉弟のように仲良しだったね」
「でも、私が中学に上がる時に父の転勤で東京に引っ越した」
「それで、宗ちゃんの中でその時の感覚のままで止まっているんじゃない?」
「スミレちゃんはお姉ちゃんだから少しくらいのわがままなら聞いてくれると思ったんじゃない?」
「私も宗ちゃんを可愛いく思っているからついつい許したくなるけれど」
「甘やかしてばかりでは宗ちゃんがダメな奴になってしまうのよ」
「もし、両親が居なくなるようなことになったら」
「私達のような一人っ子は一人で生きていかなければならないのよ」
「しっかりと強く生きなきゃならないの」
「甘えん坊さんは、もう卒業しなさい!」
「あの時に私をかばって源太を突き飛ばした宗ちゃんなら」
「出来ないはずないから」
「だから私は今ここで宗ちゃんを突き放すよ」
「宗ちゃんは宗ちゃんでしっかりと生きて行ってほしいの」
「私も私で頑張って生きて行くから」
そう言ってから二人は無言のままで
宗太の家のある商店街の方に向かった
二人はいったん宗太の家に戻ったが
スミレちゃんは勧められた夕食を
「早く帰って今日調べたことをまとめたいから」
と断って挨拶もそこそこに宗太の家を出た
「宗太、スミレちゃんを駅まで送ってあげなさい」
と言われ宗太は気まずさを必死に隠して付いて行った
そして、最後に改札口のところでスミレちゃんは
「まずは大学受験をしっかりと頑張りなさい!」
と言う言葉を残して東京に帰って行った
宗太は後味の悪さを反省しながら
心の中でも一度
「ごめんなさい」
とスミレちゃんに謝った