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「お向かいの小さな思い人」

それは目の95%以上が黒目ではないかと思われるほどの
吸い込まれるような愛らしい目だった
まだ「あぁ~!」としか言えないのに
何かを語りかけてくるような奥深い輝きがあった
私が定年退職をむかえた翌日に
お向かいに住まう若い夫婦が授かった天使だ

未だ孫のいない私達夫婦は天使がお外に出てくるのが待ち遠しかった
首が座り、私達の語りかける言葉に反応するようになり
少しずつ少しずつお話もできるようになって
私たちを仲良しのお友達と認識してくれているのが判ったときは
この世にもない喜びにひたったものだ

ちょうど天使ちゃんが幼稚園に通い出したころ
私の方の身内に不幸があり近くの葬儀場で式をあげた時だった
天使ちゃんがママに手を引かれてお参りに来て
モミジのような小さな手を祭壇に向けて合わせた後
立礼する私の前を通りがかったときに
トコトコトコっと近寄ってきてピタッと私の右足に張り付いて
「大丈夫?ワタチがギューちてあげるからね」と言ったものだから
私はもとより回りにいた人達皆が微笑みながらも目頭を熱くした

その後もランドセルを背負っている時もセーラー服を着ている時も
流行りの服を着て出かける時も玄関先で顔を合わせると
「おはようございまぁーす」「行ってきまぁーす」と変わらず挨拶してくれた

そして今朝、天使ちゃんは黒色のスーツを着込んで髪の毛を後ろでくくり
肩からバッグを下げて玄関を出てきた
「おっ、初出勤かい?」「頑張ってね!」と声をかけると
「はい、ありがとうございまぁーす」「行ってきまぁーす」と手を振りながら返事をして
パンプスのかかとをコツコツ鳴らしながら駅の方へ元気よく歩いて行った

私は鼻唄を歌いながら新聞を取って
最近言うことを聞かなくなってきた右足を引きずり玄関に戻りながら
天使ちゃんがまたギューをしてくれたら
右足も治るかなとふと思ったけれど
まあ、それは無いかな?

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