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対談覗き見! メノン&ソクラテス
こんにちは(*'ω'*)
こんど参加する読書カフェ(哲学カフェ)の課題本、『メノン』からの抜粋です。読書カフェ、自分では選びそうもない本に出逢える面白さがあります。
星の王子さま(サン・テグジュペリ)に登場する、吞んだくれ男が脳裏をよぎりました。彼はお酒を飲んでる自分が恥ずかしくて嫌なのですが、そのことを忘れるためにお酒を飲んでいるのだと泣き顔で吐露します…う~ん、無限ループ。
ソクラテス けれども、今度はきみのほうで、さあ、約束を果たそうとしてほしいのだ。徳について、その全体にわたって、徳とは何であるか、語ってくれたまえ。そうして、冗談の好きな人々は、何かをばらばらにこわしてしまった人々について、あいつは今度、ひとつのものからたくさんのものをつくった、というように言ってからかうけれども、きみはそのように「たくさんつくる」ことはやめにして、徳をその全体のまま、ぶじにこわさないようにした上で、徳とは何であるか語りなさい。しかも、きみはすでにやりかたの見本を、わたしから得ているはずだ。
メノン それではわたしには、ソクラテス、詩人がいうように、徳とは「美しいものをよろこび、力を持つこと」であるように思えます。それで、わたしは自分の主張として、美しい立派なものを欲し、そうしたものを獲得する力があることが徳であると言いましょう。
ソクラテス では、きみははたして、美しい立派なものを欲するものは、よいものを欲していると言うだろうか?
メノン ええ、もちろんです。
ソクラテス その場合きみは、いろいろな人がいて、或る人々は悪いものを欲するが、他の人々はよいものを欲するという意味で言っているのかね? ではきみ、人はみなそろってよいものを欲していると、きみには思えないのかな?
メノン たしかに、そうは思えませんね。
ソクラテス 悪いものを欲する人もいる、と言うのだね?
メノン ええ。
ソクラテス そういう場合、人々は、その悪いものをよいものと考えて、それらを欲するときみは言うだろうか。それとも人々は悪いということを知っていて、それにもかかわらずそうしたものを欲する、と言うのだろうか?
メノン わたしには、その両方があるように思えます。
ソクラテス するときみには、メノン、悪いものが悪いということを知っていながらしかもなお、そうしたものを欲するような人が、現にいると思えるのだね?
メノン はい、もちろん。
ソクラテス その人はそういう悪いものについて、何を欲するときみは言うのだろうか? 悪いものがその人のものになることを欲する、と言うのではないだろうか?
メノン ええ、かれのものになることを、です。他のことではありえません。
ソクラテス その場合、その人は悪いものが、それがだれか或る人のものになっているとき、その当人のためになると考えているのだろうか、それとも悪いものというのは、だれかのものになるときに、かならずその当人にとって害になることを、知っているのだろうか?
メノン 悪いものが有益であると考える人々もいるでしょうし、じつは害があると知っている人々も、いるでしょうね。
ソクラテス いったい、悪いものが有益であると考える人々が、悪いものが悪いということを知っていると、きみにはほんとうに思えるだろうか?
メノン うーん、その点に関しては、わたしには、かれらが知っているというふうには、あまり思えませんね。
ソクラテス そうすると、明らかに、これらの人々、つまり悪いものとは知らない人々のほうは、「悪いものを」欲しているわけではなくて、自分がよいと考えたものを欲しているのであり、ただそう考えたものが、実際には悪いものだということになるね。したがって、それらが悪いと知らずによいものだと考えている人々は、明らかに「よいものを」欲しているのだ。そうならないかね?
メノン ええ、おそらくかれらについては、そうなっているのでしょう。
ソクラテス それでは、これはどうだろうか? きみの言い方では、「悪いものを欲する」人であって、しかもその悪いものは、それを自分のものにする当人にとってかならず害になる、と考えるような人々がいるというのだが、この人々は、きっと、それら悪いものによって自分が将来害を受けると、知っているのだね?
メノン ええ、そうでなければなりません。
ソクラテス そして、その一方でかれらは、害を受ける人々は、害を受けているかぎり、惨めであると考えるのではないだろうか?
メノン その点もそのとおりに違いありません。
ソクラテス また、惨めな人々は「不幸」ではないだろうか?
メノン はい、わたしはそうだと思います。
ソクラテス それでは、惨めで不幸でありたいと思う人が、いるかな?
メノン いや、わたしはいないと思います、ソクラテス。
ソクラテス すると、メノン、少なくとも人が惨めで不幸な者でありたいと思わないなら、だれも悪いものを欲しないことになる。というのも、惨めであるということは、悪いものを欲しかつ自分のものにすることと、何ら異ならないのだから。
メノン おそらく、あなたが言っていることは、正しいのでしょう。そして、たぶんだれも、悪いものを欲しないのでしょう。
♬
ソクラテス さて、先ほどきみは、「徳とは、よいものを欲し、それを獲得できることだ」と定義したのだね?
メノン はい、わたしはそのように言いました。
ソクラテス するとこの定義で言われることのうち、「[よいものを]欲すること」のほうは全員にあてはまることで、とにかくこの点では、或る人が他の者より優れているというようなことは、まったくないのではないだろうか?
メノン ええ、そのように思えます。
ソクラテス そして、もしもかりに或る人が他の者より優れているのであれば、明らかに、「[獲得]できる」という点においてより優れているのであろう。
メノン はい、まったくそのとおりです。
ソクラテス そうするときみの説明では、徳とは「よいものをわがものとする力があること」になるようだ。
メノン ええ、そのとおりです。わたしには、ソクラテス、まったくあなたがいま解釈されたとおりであるように思えます。
ソクラテス それでは、そのきみの言っていることが正しいかどうか、考えてみよう。たぶんきみの言っていることが的を射ているのだろうから。きみの主張では、徳とは、「よいものをわがものとする力があること」なのだね?
メノン はい、そのように言います。
ソクラテス きみはたとえば、健康とか富のようなもののことを、「よい」ものと呼ぶのだろう?
メノン ええ。それに、金と銀や国家における名誉と要職を獲得することも、よいものであるとわたしは言います。
ソクラテス きみがよいものであると言うのは、このようなものであり、それ以外ではないのだね?
メノン はい、そういったものが全部よいものである、とわたしは言います。
ソクラテス よろしい。それでは、先祖の代からペルシャ大王の賓客であるメノン氏が言うには、徳とは金や銀をわがものにすることである。きみは、メノン、そうした金銀の獲得に「正しく、敬虔な仕方で」という一言を付け加えるだろうか、それともそんなことには何のちがいもなくて、たとえ人が不正な仕方で金銀をわがものにしたとしても、それでも同様にそのことを「徳」とよぶのだろうか?
メノン いいえ、そんなことはけっしてありません、ソクラテス。
ソクラテス 不正に手に入れるのなら、悪徳なのだね?
メノン はい、もちろん。
ソクラテス そうするとその獲得には、正義や節度や敬虔など、徳の部分を付け加えなければならないように思える。もしこれらがなければ、たとえよいものを獲得するにせよ、その獲得は徳ではないことになる。
メノン ええ、もちろんそのようなものなしに徳となりえるなど、ありえません。
ソクラテス だがそれとは逆に、金と銀を手に入れることが正しいことではない場合には、自分のためにも他人のためにもそんなものを獲得しないこと、これもまた、徳であるのではないかね?
メノン はい、そのように思えます。
ソクラテス そうすると、このようなよいものを「獲得すること」が「獲得しないでいること」以上にすぐれて徳であるとは、まったく言えないことになる。正義を伴っておこなわれる獲得であれば徳であろうが、正義などがまったくないままおこなわれる獲得なら、悪徳だということになるね。
メノン ええ、あなたがおっしゃるとおりにちがいありません。わたしにはそう思えますね。
ソクラテス ところで正義や節度や、このようなすべてのものは、それぞれ徳の「部分」であると、少し前にわれわれは言っていたね。
メノン はい。
ソクラテス そうすると、メノン、きみはこのわたしに対して、ふざけているのかな?
メノン それはいったいどうしてですか、ソクラテス?
ソクラテス こういうことだよ。さっきわたしのほうできみに、徳をばらばらにしたり、切り刻んだりしないように求め、その上、手本としてきみが答えることができるような「見本」まで、与えてあげたではないか。それなのに、きみはこれを無視したばかりか、徳とは、「正義を伴って」よいものをわがものにすることができることだ、などと言っている。ところがこの「正義」は、きみの主張では、「徳の部分」のことなのだ。そうだね?
メノン はい、それがわたしの主張です。
♬
ソクラテス だから、きみが同意している、こうしたことからすると、何をするにしても徳の或る部分を伴ってさえいれば、その行為は徳であるということになる。というのも、きみは正義や、そうしたもののそれぞれが、徳の部分であると主張するのだからね。
メノン それで、それの何が問題なのでしょうか?
ソクラテス わたしが言っているのは、こういうことだよ。わたしは徳全体を定義してほしいと求めた。それなのに、きみは徳そのものが何であるかを定義するどころか、「どんな行為も、徳の或る部分を伴っておこなわれるなら、かならず徳である」と主張しているのだ。まるできみのほうで前もって、「徳は、全体として何であるか?」を説明してくれたので、たとえいまきみが徳を部分部分へ切り刻んだとしても、わたしはこの先徳全体をしっかり把握していけるかのようだ。
したがってわたしの意見では、親愛なるメノン、きみはもう一度はじめに戻って、「徳とは何であるか?」というおなじあの最初の問いに取り組む必要があるのだよ。もし徳の部分を伴ういかなる行為も徳であるならね。なぜならこのことこそ、「正義を伴ういかなる行為も徳である」とだれかが語るときに、そこで言われている意味なのだから。
それともきみは、もういちどおなじ問いが必要になっているとは思わず、徳そのものを知らずに徳の部分が何であるかを知っている人がいると、考えるのかな?
(つづく…)
『メノン――徳について』(プラトン、渡辺邦夫訳、光文社文庫)より
いやぁ…私はソクラテスさんとお喋りできそうもありません…(;´∀`) メノン青年の問い「徳は教えられるものでしょうか? それとも訓練によって身につくものでしょうか? そうでなくて、生まれつきか、何かまた他のしかたで人びとに備わっているものなのでしょうか?」に対して、まず徳が何を指すのかわからんからそれをハッキリさせようと言って、一章終わってしまってます。傍聴するだけで十分です、まにあってます(何がだ?)…! なんか小腹が減ったので、チーズケーキの美味しいお店でお茶してきます、なんつってそそくさと帰りたくなりそうです。
でも、この美貌溢れるらしい青年・メノン君はソクラテス爺の目に入れても痛くない可愛い奴なのかもしれません。ソクラテスさん、「美少年にはからきし弱い」とぶっちゃけています。そして「議論においてああしろ、こうしろと言ってばかりだが、そういうのは讃美者に対してずっと専制君主のように振る舞えたために、甘やかされ、ワガママになってしまった人がやることだよ」と優しく(ほんとはビシッと言いたかったけど、鼻の下が伸びちゃったまま?)たしなめています。
正直、「徳」についてはこれといった興味がないんです。二章以降を読めば違ってくるのかな? でも、その途中に出てくる「人は、自分がよいと考えたものを欲する」の議論のところで、おお~っと腑に落ちるものがありました。自分のためにならない、有益でないばかりか害でさえあると第三者から(客観的に)見えるモノ・コトでも、本人にとって「よい」認定されたモノ・コトは獲得あるいは実行されつづけてしまうというヤバさ。至る所で散見されるような気がいたします…(>_<) KGBで諜報活動(殺人も?)したり、ボスの疑惑を追及しない忖度などによって政界で地位を獲得して大統領にまで昇り詰めたあの人は、何を「よい」認定してきた人物なのだろう?
むかし、名著講読という授業をとったときに、ルソーの「人間不平等起源論」を読みました。自然人(思考実験上の架空の存在)と文明人(現代社会に生きる我々)の違いが浮かび上がってくる&これからどう生きるべきなのか?について考える授業だったのかしら。
自然人は、聖書のエデンの園っぽいところに住み、着飾りもせず、野山から必要な食料を調達しながら自由闊達に気ままに暮らしている人たち(架空です)。文明人は、絶えず欲望を満たそうと、あくせく働いたり、社交に勤しんだり、忙しそうにして「自然人の奴ら、あんな貧しい暮らしで可哀想だなぁ~」と見下してるのかもしれません。逆に、自然人は「文明人の人たち、いつまでも欲望が満たされないままで、惨めで気の毒だな…」と本気で心配してるかもしれません。
だいぶ年月が経って、印象だけ強烈に残っています。「惨め」つながりで、ふと思い出しました。
ひとりひとり、何を「よい」認定するのか、それが問われているのが今でしょ! …と、古今東西の名著に残っていそうです。
Your life is structured from what is "good/right" you think, decide and get ☆