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「たとえる技術」から話を広げ…

こんにちは(*'▽')

「取り返しのつかないこと」の表現として、「カップ焼きそばのお湯を捨てる前に、ソースを投入してしまった時」と言っていた人がいました。何かのコラムか、4コマ漫画だったかな? なるほど!具体的で共感しやすい!


◇ 感情を共有できる ◇

 喜びをうまく表現できないという人はいないだろうか?
 実は私もそのひとりである。素直に表現している人を見るたび、いつも羨ましくなる。
 例えば、プレゼントをもらう。うれしい。うれしいのだが、うまく表現できない。「うれしい」と口に出しても、相手にうまく伝わらない。「この人、本当にそう思っているのか?」と思われるのがオチだ。
 そこで動作を取り入れてみたこともある。オーバーアクションを交えて「うれしい」と言ってみるが、今度はわざとらしくなってしまう。「もっと自然にやらなければ……」と意識すればするほど、よりぎこちなくなってしまう。慣れないことはすべきではない。
 それならばやはり言葉で伝えるほうが良い。「うれしい」だけではこちらの気持ちをうまく伝えられないのならば、何か言葉を付けてうれしさをアップさせてみる。

 とてもうれしい
 凄くうれしい
 大変うれしい
 尋常ではないほどうれしい
 夢かと思うほどうれしい
 死ぬほどうれしい

「とても」「凄く」「大変」はどこか子どもっぽさを感じさせる。あなたが子どもならば構わないが、そうでないのなら使わないほうが無難だ。「尋常ではない」「夢かと思うほど」「死ぬほど」になると今度は大げさになってしまい、信ぴょう性に欠ける。相手に気持ちが伝わることはない。「ふざけてるのか!」と怒らせてしまう可能性すらある。

 ではどうするか。たとえである。うれしさをたとえてみるのだ。

「この犬、他の人に懐くこと滅多にないのよ」と言われた時のようにうれしい

最後の期末テストが終わった時のようにどねにうれしい

思っていたより買取額が高かった時のようにうれしい

大浴場に自分ひとりだけのようにうれしい

二度寝してもオッケーな時間だった時のようにうれしい

 たとえが感情の輪郭を明確にし、うれしさを鮮明にしてくれる。
「『この犬、他の人に懐くこと滅多にないのよ』と言われた時のようにうれしいです!」
「なるほど! 自分が特別な存在になったようにうれしいんだな!」
 このように相手とうれしさが共有される。たとえは感情を出すことが苦手な人のサポートもしてくれるのだ。

 また、友人がかなり落ち込んでいる時。あなたは友人を励まそうとする。
 どんな言葉が最適だろうか。ただ単に「大丈夫だ」と言っても、相手は「ありがとうございます」と感謝の言葉をくちにするだろうが、それは明らかに上辺だけのもので、落ち込み具合に何の影響もない。しかも「大丈夫だ」なる言葉はちょっと言い方を間違えると志村けんのようになってしまって相手を怒らせてしまう。かといって、「いつまでもくよくよするなよ!」と強めに言うのも逆効果になる可能性がある。
「気にするな。たいしたことないよ」これも同じこと。ただの慰めにしか聞こえない。
 ならば励ますことは不可能なのか。「私は人を励ますことができない人間なのだ」と今度はあなたが落ち込む。それを見た他の誰かがあなたを励まそうとする。しかしその人も励ますことができずに落ち込んでしまう。落ち込みの連鎖が延々と続いていく……。
 そんな流れを断ち切るためにたとえがある。たとえを使ってたいしたことなさを説明し、励ますのだ。

CDの再生に問題のない小さな傷のようにたいしたことない

洗濯したズボンのポケットの中に固まったティッシュを見つけた時のようにたいしたことない

会計の時伝票をテーブルに忘れたようにたいしたことない

一瞬だけ外に出る時に母親のサンダルを履いたようにたいしたことない

カップ麺の「お召し上がりの直前に入れてください」と書いてあるスープを先に入れてしまったようにたいしたことない

「気にするな。CDの再生に問題のない小さな傷のようにたいしたことない」
「たしかに再生に問題ないならたいしたことじゃないか。レンタルCDなんて結構傷だらけだけど問題ない。そうか、たいしたことないな!」
 こうして「たいしたことなさ」が共有され、ミスがちっぽけなものに思えてくる。いつまでもくよくよしているのが恥ずかしくなり、馬鹿らしくなるはずだ。

せきしろ

『たとえる技術』(文響社、2016年) 「たとえないより、たとえたほうがいい理由」より


学校では、嬉しがり方を習ったりしない。人の励まし方も。それは日常生活で、勝手にひとりひとりが学ぶことになっている。でも、何らかの事情で、うまく感情を表現する方法を身につけられなかったとしたら、その人はどんな苦労をするだろう…??
今月までテレビ朝日で放映している連続ドラマ『となりのチカラ』のなかで、上条知樹くん(役)という青年が、同じマンションの人たちの表情を参考にして豊かな表情を獲得しようと練習し始める話もありましたし。
感情を表したり相手に伝えたりすることは、超重要、必須科目のような気がします。
ウクライナからポーランドに避難してきた怯えた表情の子たちが、演技ワークショップで笑ったりしてるところをニュース映像で見たりすると、う~ん、傷ついた感情面のサポートという意味でも、やっぱり超重要じゃん!と思います。

おなじように、家庭科の教科ももっと重視されてよさそう。映画『<主婦>の学校  The School of Housewives』(北欧アイスランドにある男女共学の「主婦の学校」がおしえるのは「いまを生きる」ための知恵と技術、2020年)を観て、つよく思いました。男女分け隔てなく、料理洗濯掃除の技術が必要になってくるし、ダーニングとか覚えれば虫食い穴の空いたセーターも捨てずに補修して着れるし、アイロン覚えたら気持ちよくビシッとシャツスタイルで自信持てるし。そう、自信。自信を持ってこれからの世を生き抜いていくために身につけるべきは、まず身の回りのことを他人任せにしなくて済む家事技術だ~♪

誰もが外付けハードディスクのようにスマートフォンを持つ時代、詰め込み教育、決められた解答を導くコツは不要になっていくと思うので、小学校は外で遊ぶ時間をた~くさん確保して丈夫な身体づくりするほうがいいのかな? 養老孟司さんの受け売りでした~( *´艸`)

感情表現、家事の技術、身体づくり、現代の「心技体」かな!? ほんとうに必要なもの・ことこそ、甥っ子&姪っ子、ひいては次世代の人たちに残していけたらいいですよね…!!

Learn and get really important arts for surviving ☆

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