中身のある言葉話せる生き方
こんにちは(*'▽')
『リトル・フォレスト 夏・秋』(2014年)を観ていました。“小森” は東北のとある村の中の小さな集落。主人公のいち子は沢と森と田んぼに囲まれた家に住み、自給自足に近い暮らしをしています。養魚場のイワナをキャンプ場の釣り堀に移す日雇いのアルバイトをする(軽トラックで移動中の)ふたりの会話が印象に残りました。
――ユウ太はさぁ、なんで小森に帰ってきたの? わたし、てっきり学校なんてここ出て行くための口実なんだと思ってた。
「もちろんそのつもりだったよ。だからあっちで就職だってしたし」
「なんか小森とあっちじゃ、話されてる言葉が違うんだよね。方言とかそういうことじゃなくて。
自分自身のカラダでさぁ、実際にやったことと、そのなかで感じたこと、考えたこと、自分の責任で話せるのってそのぐらいだろ。
そういうことをたくさん持ってる人を尊敬するし、信用もする。
何にもしたことがないくせに、何でも知ってるつもりで、他人がつくったものを右から左に移してるだけの奴ほど威張ってる。薄っぺらな人間の空っぽな言葉を聞かされるのにウンザリした」
【岩魚を気絶させて、内臓出して串をさすシーン】
「俺はさぁ、他人に殺させといて、殺し方に文句つけるようなそんな人生は送りたくないなって思ったよ」
【岩魚の塩焼き&味噌汁、食す。うまい!というシーン】
「こっち出てから初めて、小森の人達、親とか尊敬できるなぁって思ったよ。中身のある言葉話せる生き方してきたんだなぁって」
原作:五十嵐大介「リトル・フォレスト」(講談社「アフタヌーン」所蔵)
他人がつくったものを右から左へ移してるだけの奴、というのは、商売人・ディーラーのことでしょうか。宮沢賢治の「なめとこ山の熊」に出てくる猟師と、彼から熊の皮や肝を安く買いたたく商人の対比を思い出します。猟師は自分の生業を因果なものと思いつつも、それが自分と養う家族の糧となること&とある熊にもあと2年生きたい事情があること、熊と交渉しながら、熊の命で自分たちの命を繋いでいきます。そこには尊いものが底流にあります。そんなものに一切関知しない、町の商人との対比がせつないんです。
わかったつもりになって、からっぽなことばをはなすひとにはなりたくないな。
自分のカラダを通して、日々の暮らしを営むことからはじめようと思います。映画の中の、ジャムを混ぜる木べらにカビが生えるほどの小森の湿気まとわりつく季節、室内を乾燥させるために使う(季節外れの)薪ストーブの熾火で焼くパンが美味しそうでした!!
Use your body, feel and think... those give substance and weight to what you say ☆
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