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「臨床の砦」から

こんにちは(*'ω'*)

最近(本日2021・7・4)の新規感染経路は飲食店でのもの/会食が1割とかそのくらいで、5割くらいを占めるのが家庭内感染なのだそうです。飲食店の並々ならぬ努力の賜物、店内の感染対策が徹底されているのでしょうね。


「ハッピーハイポキシア、ですか」

音羽の言葉に、敷島はもう一度うなずいた。

『Happy Hypoxia』

幸福な低酸素血症、とでも訳すべき言葉が数日前の医学論文に記載され、注目を浴びている。

普通SpO₂という酸素濃度は、元気な人であれば、96から98パーセントという数字であり、93パーセント程度まで下がってくると、普通の人間はかなりの呼吸苦を感じる。高齢者では90パーセント程度で元気な人もいるがそれは例外で、普通の成人であれば93パーセント以下で無症状ということはあり得ない。しかし新型コロナ肺炎では、SpO₂が90パーセント程度まで下がっても、何の症状もない患者が少なくないのである。これがハッピーハイポキシアと言われている現象だ。

原因はまだ定かではない。しかし、症状が当てにならないということは確かであり、これがしばしば元気そうな患者が急変する原因ではないかという推論が成り立つ。

「どっちにしても、認知症のある高齢者で、広範囲な肺炎っていうと、結構やばいんですよね?」

「そうだね。二人とも酸素が必要な状態だけど、ひとりの患者は嫌がって酸素マスクを取ってしまうそうだ。看護師が何度もベッドサイドに足を運んでいるが、限界がある」

「感染症病棟では、家族に付き添いをお願いすることもできませんものね」

重苦しい空気が医局に広がる。

今朝のカンファレンスで春日が案じていたことが、すでに現実となり始めている。認知症患者には、看護師からの指示も通じない。

「いつまで続くんですかね、この状況。日ごとに事態が悪くなっているようにしか見えないんですけど……」

龍田がつぶやきながら、医局のテレビに目を向けた。

今夜もテレビでは、コロナ関連のニュースが続いている。今は日本中の様々な飲食店の苦境を紹介する特集のようだ。

「飲食業やら旅行会社が死活問題っていうのはわかるんですけどね」

龍田は大きな肩をすくめて吐き出した。

客が来なくて収入が激減だ。

家賃や運転資金だけでも大赤字だ。

もっと補助金を出してほしい……。

政府は俺たちに死ねと言うのか……。

そんなふうに、顔の見えない人々の、憤りに満ちた声が続く。

聞いているだけで胸が苦しくなってくる。

「俺ってやっぱり、心の小さな男ですよ。この人たちの言ってることはわかるんですが、だからって、患者が溢れかえっている今の状態が、仕方がないことだとは思えません」

外科の龍田は以前から、経済よりも医療を守ることが最優先だという立場で一貫している。日々直接患者を診察し、自分自身が感染にリスクを背負い、ときには命の危険さえ感じることもある現場の医師としては、当然の主張といえる。

肝臓内科の日進も、この点については龍田と同じだ。

“ワクチンが行きわたったら、いくらでも飲み食いに行きますよ。連日宴会だっていい。でも今はやめてもらえませんかねぇ。田舎の病院で必死に働いている健気な肝臓内科医の努力も、少しは汲んでいただきたいですよ”

皮肉屋の日進は、そんなことを言いながら、最近は飲食店関連のニュースを見ると、すぐにスイッチを切るようになっている。もともとコロナ診療に消極的な日進からしてみれば、経済を守るために微妙な感染対策に踏みとどまっている政府の態度は、歯がゆいとしか言いようがないに違いない。(略)

今は経済よりも、医療を守ることを優先すべきなのか……。

敷島に結論はない。結論を出すには、あまりに物事を知らないと感じている。龍田や日進のように、明確に医療を優先すべきだと言い切れないのは、妻の美希の存在も影響しているように思う。

医療とは縁のない世界で生活する人々にとって、コロナは今もなお対岸の火事のように切迫感がないのかもしれない。若い人々の中には、今の職場に人生を懸けている者もいるだろう。若年者の死亡率がかなり低いことを考えれば、感染より解雇や廃業を恐れる気持ちも理解できなくはない。

ただ、経営の苦境を訴える大声の下で、黙って斃(たお)れていく人々がいることも敷島は知っている。

「コロナは災害なんですよ」

敷島の思索を遮るように、龍田がそんなことを言った。

テレビを、ほとんど睨みつけるようにして龍田は言葉をつなぐ。

「大津波とか大地震みたいなもので、たくさんの人が病院に運ばれて、たくさん死んでいくんです。そんな中で、店に客が来ないとか、売上が半減だとか、補助金よこせとか、いつからみんな自分の都合ばかり言うようになったんですかね」

「みんなが言っているわけじゃない」

敷島は我知らず、はっきりとした声で遮っていた。

「みんなが不満を言っているわけではないと思うよ」

敷島は多くは語らず、黙ってコーヒーカップに口をつけた。

敷島は格別の主張を持っているわけではない。むしろその気持ちの在り処は、龍田とかけはなれているわけではない。人の動きを止め、とにかく感染の拡大を抑えてほしいという切実な思いがある。

しかし、特定の立場から無闇と大きな声を上げることには、危険が伴うのではないかという思いが常にある。

テレビで不満を述べる者たちを見て、龍田は苛立ちを露わにしている。しかし今の龍田の意見を聞いて、怒りを覚える者もまたいるはずである。確かに増加する感染者を治療しなければいけない医療者は、直接命の危険を感じながら働いている。毎日のように感染者と接する中で、すぐ足元に『死』を見つめながら働いている。その点は、客が来ないと嘆いているレストランのオーナーとは根本的に危険のレベルが違う。

しかし、そうだとしても、と敷島は泡立つ感情の坩堝(るつぼ)からは距離を置く。

負の感情は次の負の感情を生み出すだけである。社会のあちこちでくすぶるその感情を野放しにしていれば、互いにただぶつかり合うだけで、立場の異なる人間同士のつながりを断ち切っていくことになるだろう。

負の感情のクラスターは何も生み出さない。皆が自分の都合だけをわめき続ける世界は、どう考えても事態を改善することはない。そんな思いが、敷島の沈黙をより一層深いものにしている。

「先生ってやっぱりすごいですよ」

龍田の言葉に、敷島は思考の沼から引き起こされた。

「どうしていつもそんなに穏やかでいられるのか、俺も見習いたいです」

「いつも言っているが、それは誤解だ。どんな思いを抱えていようが、この時間まで懸命に働いている先生たちは、間違いなく立派だと思っている」

「そうですよね」

音羽の、はずむような声が響いた。

「なんだかんだ文句を言いながら、龍田先生が一番遅くまで働いているんですから、立派だと思います」

「なんだよ、その取ってつけたような調子は」

取ってつけてなんていませんよ、と音羽が抗議をすれば、そんなのいらねえよと龍田が大きな手を振る。

嚙み合わないように見える会話に、なんとなく不思議な明るさがあるのは、若さゆえの力であるかもしれない。論理や理屈を抜きにして、若い二人の遣り取りが、医局の沈滞した空気をいくらかでも払ってくれる。

テレビに向かって怒りを爆発させるより、この方がよほど幸せな景色だと、敷島は思うのである。

『臨床の砦』(夏川草介、小学館、2021年4月28日発刊)より


「負の感情のクラスターは何も生み出さない」…そのとおりだなぁと感じます。この小説では、追い詰められ疲労感が蔓延している院内で、オリンピックの話題をニュースで耳にしたときにも無意識のうちに手を伸ばしてスイッチを切っているシーンがあります。「万全の感染対策のもと、オリンピックは開催可能である」「選手たちの努力が、多くの人たちに希望を与えてくれるはずだ」「落ち込んだ経済を立て直すためにも、オリンピックを成功させなければいけない」…熱のこもった解説の声が、命を危険にさらして働き詰めになっている人達の疲弊感、悲壮感を一層重くさせている場面を想像すると、何も言葉を継ぐことできません…(;´Д`)

Prevent a cluster of negative emotions from spreading ☆

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