「わからない」という絶望の先に:「二重のまち/交代地のうたを編む」と「想像ラジオ」
「いくら耳を傾けようとしたって、溺れて水に巻かれて胸をかきむしって海水を飲んで亡くなった人の苦しみは絶対に絶対に、生きている僕らには理解できない。聴こえるなんて考えるのはとんでもない思い上がりだし、なにか聴こえたところで生きる望みを失う瞬間の本当の恐ろしさ、悲しさなんて絶対にわかるわけがない」
ー いとうせいこう「想像ラジオ」
あの日から10回目の「3月11日」がやってきた。テレビではこの時期になるときまって震災を振り返る番組が流れる。その度に、まだまだ震災は終わっていないのだと気付かされる。多くの犠牲者がいまだ行方不明のまま東北のどこかの土の中で見つけられる日を待っている。避難生活を送る人びとは4万人を超え、福島第一原発事故の処理は終わりの目処が立っていない。そんな土地を「復興五輪」の旗を掲げて聖火ランナーが走ろうとしている。なにかの悪い冗談ではないかと思いたくなるのは僕だけだろうか。
東日本大震災を振り返るとき、常に付きまとうのが「僕に震災を語る資格はあるのか」という後ろめたさである。たいして被害を受けていない、せいぜい計画停電があるかないかで右往左往していた程度の僕が、震災にかこつけて過去を振り返るなんておこがましいのではないか。震災発生当時、首都圏ではスーパーの棚から物が消えた。物流が滞って商品が届きにくくなったのは事実だが、ほとんど住民たちのパニックによる買い占めが原因だったと思う。東北地方の被災者が水も電気もない中、寒さに凍えて避難生活を送っているのに比べれば、それほど被害も受けていないのに。ネット上では放射能に関するデマがまわり、パニックに陥る首都圏民は「エア被災者」と揶揄された。当時中学3年生の僕はそれを見て「そうか、僕の不安や恐怖はエアなのか」と思った。たしかに、東北では多くの人びとが大切なひとや家を失い、なんの罪もないのに故郷を追われている。それ以来、僕は「非当事者」なりに慎ましくあれねばならないのだと思うようになった。その気持ちはいまもあまり変わっていない。
冒頭に引用したのはいとうせいこうの小説「想像ラジオ」の一節である。被災地の復興ボランティアから帰る車中で、「ナオ君」というひとりの若者が「遺体は喋りませんよ。そんなのは非科学的な感情じゃないですか」と投げかける。DJアークを名乗る震災の犠牲者が、おなじく津波に飲まれて亡くなった人びとと交わる「想像ラジオ」を描く本作において、この第二章はラジオの「外側」が登場する異色のパートであり、作品全体をメタ的に批評する内容にもなっている。「非当事者」はいかに震災に携わるべきなのか。死者の声に耳を傾けても、所詮は他人の悲劇をダシにした自己満足なのではないか。本当にくるしみを味わった人の気持ちなど、絶対に理解できるはずがない。自分には帰る場所があるのに、被災地でボランティアをしたぐらいでなにかを成した気になるのは無責任だ。そんな絶望に苛まれながら、それでも自分にできることもあるはずだと希望を探し続ける終わりなき作業。「ナオ君」とその先輩である「ガメさん」による緊張感ある会話は、作者・いとうせいこうの自問自答と捉えることもできよう。
しかし、本当に「非当事者」は震災を語ることから身を引くべきなのだろうか。多くの人が亡くなった災害を語り継ぐ営みから、部外者は阻害なれなければならないのだろうか。そんな問いに「想像ラジオ」とともにひとつのアンサーを示した映画がある。映画監督の小森はるかと詩人の瀬尾夏美による「二重のまち/交代地のうたを編む」だ。
ぼくの暮らしているまちの下には
お父さんとお母さんが育ったまちがある
ある日、お父さんが教えてくれた
ぼくが走ったり跳ねたりしてもびくともしない
この地面の下にまちがあるなんて
ぼくは全然気がつかなかった
ー 瀬尾夏美「二重のまち/交代地のうた 二〇三一年 春」
「二重のまち/交代地のうたを編む」は、東日本大震災の復興ボランティアを機に陸前高田市に移住し、被災地にくらす人びとを追いかけたふたりによるドキュメンタリーである。震災当時は関西に住んでいたり、東北でも被害の軽微だった地域にいた4人の「非当事者」の青年たちが、旅人として陸前高田の街を訪れ、瀬尾夏美による詩「二重のまち/交代地のうた」のモデルとなった人びとを訪れる…という内容だ。「二重のまち」は、震災後に進んだかさ上げ工事により誕生した、大津波のにおいのしない真新しい街並みと、その下に埋れていった震災以前の記憶を残したかつての街並みの二重の存在を指す。では、瀬尾夏美と小森はるかが言うところの「交代地」とは何なのか。
この映画が特殊なのは、陸前高田を舞台にしながら、当事者の語る様子はほとんど映されない点である。被災者のことばは4人の旅人によって語り直される。あくまで「当事者」の話を聞いた「非当事者」によって紡がれた体験談を、僕たち観客は受け取ることになるのだ。ある少女はまるでそれを物語のように美しく表現し、また、ある男はカメラの前で怯え、声を震わせながら、ひとつひとつことばを絞り出していく。僕らは、旅人の一挙手一投足に目をこらし、その声の迷いに耳を傾ける。そして、スクリーンに映る語り手を見つめながら、おのれの目と耳でそこに映らない「光景」を想像し、旅人たちの苦悩を追体験するのである。僕はこの一見遠回りなアプローチに草野なつか監督の「王国(あるいはその家について)」を思い出した。フィクションを、何度も繰り返される本読みやリハーサルを通し、変化していく役者の身体から知覚していく営み。おなじ映像を見ているのに、僕のとなりに座っている観客は、まったく別の景色を見ているかもしれない。どちらの作品も共通するのは、視覚したままの映像はある種無機質であり、「想像」を介してはじめてそこに意味が生まれることである。僕たちは「心」で目に映らない景色を見て、耳に入らない音を聴くのだ。
僕はここにこそ「交代地」のヒントが隠れていると思う。「二重のまち/交代地のうたを編む」の終盤、すべてのワークショップの工程を終えた4人が、活動をとおして感じた「戸惑い」を語り始める。
「その時の会話の本当の感じを伝えられたらいいのに」
「覚えてることだけでも、話せることだけでも話しちゃだめなのかな。これはある意味、じぶんにも言い聞かせているんだけど」
震災の記憶とともに「二重のまち」として地下深くに埋もれていくかつての陸前高田の町。旅人たちが歩いても、そこにはもはや身体的な震災の記憶とは切り離された、現在の人びとの生活の場がある。「非当事者」でしかない自分に、震災を語り継ぐ資格はあるのか。おのれのフィルターを通してしか語り得ないもどかしさ。土足で人びとの心に上がり込む無神経さへの自覚と、それでも自分の体験をだれかに伝えたいという義務感。この緊張と葛藤のはざまに生まれるのが「交代地」なのではないか。
いくら想像し尽くしても、そこには絶対に超えられない壁がある。それでも僕は想像することをやめない。やめられない、と言ったほうが正しいかもしれない。この営みが絶望的であればあるほど、かえって僕には一人ひとりの人生や経験が「かけがえのない」ものであると感じられるのだ。「わからない」からといって失望したり、諦めたりする必要はない。その理解し難さこそが、僕の人生と、相手の人生が替えの効かない、尊いものであることの証なのだから。男がフェミニズムを語ってもいいし、たとえ偽善者だと指を差されても、紛争地帯の子どもたちに想いを馳せればいいと思う。大事なのは、絶望の淵に立たされてもなお「想像」の力を諦めないことだ。震災の記憶を当事者の語りに閉じ込めてしまったら、いつか本当にあの日は風化して「なかったこと」になってしまう。徐々に薄れていく当時の記憶を、どんな形であれ語り継いでいくこと。それを若干の後ろめたさを背負いながら、みずからの責務として引き受けること。それが「ナオ君」の問いに対する現時点での僕の回答である。
「すべてをわかることはできないけど、想像することはできるし、するなら丁寧に想像したいと思った」
ー 小森はるか+瀬尾夏美「二重のまち/交代地のうたを編む」