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録音エンジニア、ジョン・ウッド

私の好きな録音エンジニア:ジョン・ウッド①

 オーディオ機器にそれなりに投資することで見えて(聴こえて)くるのは、細部にわたる音楽(家)の息遣いもそうだが、それをレコーディングした録音エンジニアの仕事ぶりだ。いや、むしろ、後者のほうが意義が大きいかもしれない。

 ステレオフォニックとは「世界初のヴァーチャル・リアリティ&立体音響」であり、音のイリュージョンを聴き手に提供するのが録音エンジニアの重要な役割であるはずだ。そのイリュージョンは、音の「リアル感」や「迫真性」といったハイフィディリティの要素と、現実の演奏や合奏では聴くことができない「音響効果」や「音の仕掛け」といったマジカルな要素とを併せ持つ。だからこそ、よい録音とは、現実に近い音を収めることだけを言うわけではないし、芸術表現としてのもっと広い意味が含まれている。

 2本のスピーカーの間に、あるいはそれを超えて、どんなサウンドステージを登場させるのか。だから名匠と呼ばれる録音エンジニアは、音が「見えるように」聴かせることができるし、見えるばかりか、音の質感(単に音色・声色の質だけではなく、温度感や湿度感)すらも感得させられる。そういうときに、私はそれを優れた録音と呼んでいる。

 私にとって誰が録音したのかは、たいへんに重要になる。特に、現実のスタジオで、マイキングの技術を駆使し、録音機材にこだわって、磁気テープに音を封じ込めた時代の音楽には、ステレオフォニックや立体音響のマジックを存分に味わえる録音が数多く存在する。中でも、機材の進歩がハイファイ化の後押しをした70年代の録音には、私が好ましいと感じる作品が多い(そういう意味では、ビートルズの諸作はその範疇にない)。

 CDやデジタルの弁護をしておくと、ハイエンドやローエンドまできっちり録音されたマスターテープのサウンドは、丁寧なデジタルトランスファーによってこそ、持ち味が発揮されるという場合があるのではないだろうか。特に過度な低域は、プアなアナログ盤再生装置では針飛びの原因にもなる。「ラウドカット」と呼ばれる盤がそれで、有名なのはザ・バンドのセカンド。ボブ・ラディックのカッティングはマスターテープを忠実に置き換えたものだったが、低域が入り過ぎていてあえなく回収。のちに出回った盤は低音がスカスカ、迫力に欠けるものだった。だから、オリジナル盤の音を知らないリスナーにとって、ザ・バンドの代表作(同時にアメリカン・ミュージックのある面を代表する一枚)は、長らく微温的な空気を纏い続け、誤解されたまま聴かれていたのだ。

 クリアで歪みの少ない、よく伸びたローエンドはデジタルで聴くのが気持ちがいい。近年のビートミュージック全般やヒップホップのトラップなども、デジタルの録音・再生なくしては成り立たないだろう(例えばジェイムス・ブレイクの1stのような)。

 ……寄り道をしてまった。が、成果物にとって、カッティングやマスタリングというのは、それくらい大事なプロセスなのである。

 録音スタジオのマジックについては、音楽評論家の高橋健太郎氏が著書「スタジオの音が聴こえる」の中で、名盤が生まれた秘話について存分に筆を振るわれている。私は、当然ながらそうした専門家の知見を持つわけではないので、あくまで「好みの」という前提に立って、誰が一番好きな録音エンジニアなのか考えてみた。

 すると、聴いていて最高に気持ちがいい+音楽自体も好き、という組み合わせにおいて浮かび上がってきたのは、グリン・ジョンズ(フェイセズの仕事は最高に好き)や、トム・ダウド(アトランティック初期のR&Bやジャズのサウンドは素晴らしい)といった名匠ではなかった。音楽好きの間では、もしかしたらプロデューサーとしてのほうが知られているかもしれない、ジョン・ウッド。私にブリティッシュ・サウンドの気持ちよさを、気づかせてくれたエンジニアだった。

※写真はSound on Soundより。 

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