父親の存在

今日は、父親の事について書いていく。

父親の説明をかるくしておきたい。父親の性格は、物静かで真面目。口うるさくはなく、怒られた記憶は一切ない。サッカーは中学時代に少ししていただけで、高校、大学ではラグビーに精をだしていた。

初めから熱血的だった母親に対して、父親はどうだったのか。

初めの頃の父親は、僕のサッカーにさほど興味がなかったように思う。

新しい環境、チームメイトに刺激を受けてどんどん上達していく僕の姿をみて、後に父親も完全にはまっていった。

父親がつくったサッカーファイル

僕が小学5年生の頃から、父親がサッカーファイルを作り出した。

その名も『Jリーガーへの道』。

これは、父親が僕の試合を見て10点満点で採点をしたものだ。

もう一度言うが、父は中学時代にサッカーを少しやったくらいの素人だ。笑

しかし、素人のほうが核心をついたところを見ていて、痛い所をついてくる。加えて当時の僕は、父は凄い人だと思い込んでおり、サッカーの事ならなんでもわかるスペシャリストだと思っていた。採点で酷い点数をつけられたときは、ひどく落ち込んだものだ。

しかし、そのサッカーファイルがモチベーションにもなった。良い採点をつけてもらいたいから頑張ってたことは、今でも覚えている。

ちなみに、このサッカーファイルは、僕が実際にプロになるまで父親が採点をつけ、新聞を切り抜きコツコツと作成してくれた。

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『〜したいな。ではなく、〜する。』

今の僕もメンタルがめちゃくちゃ強いとは言えないが、当時の僕のメンタルはへなちょこだった。

僕の口癖は、「試合に勝ちたいなぁ」「ゴールをきめたいなぁ」「優勝したいなぁ」だった。

そう、「ゴールを決める」「優勝する」と言い切ることができなかったのだ。

それは、できない可能性があるし、正直自信がなかったからだ。

昔の自分は、「出来なかったらどうしよう」からはいってしまう、ネガティブな少年だった。

そんな僕に父は、「言い切ってみろ」と口酸っぱく言ってきた。当時それにどんな意図があったかはわからないが、プロになって思う。前向きな言葉を吐く、前向きに物事を考えるというのは、非常に大切なことだ。

父は、サッカーはやっていなかったものの、学生時代スポーツを極めて来たものとして、そういうことも教えたかったのかなと今になって思う。

最後に

父も母も僕の大好きな事を一緒に応援してくれて、一緒に夢を追いかけてくれた。

時にモチベーターにもなってくれて、もっと頑張らなきゃと思わせてくれる存在だった。

プロになり、自分の為、家族の為、お世話になった人の為、様々な思いを抱きながらサッカーをしているが、1番大きなベクトルを占めているのは両親かもしれない。

そんな両親の元でサッカーをしていた僕は、すごく幸せだったなと感じている。

これは父がサッカーファイルの1番最初に書いた言葉だ。


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この頃から18年が経つ。まだこの夢は叶えられてはいないが、僕以上にこの夢を本気で思っている父親のためにも、これからも前に前にチャレンジしていきたいと思う。

『Go forward!』

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大﨑淳矢
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