谷川俊太郎さんが私に教えてくれたことは、形而上学的な恋?!
恋。
谷川俊太郎さんの詩を読むと
恋の歌がとても沢山ある。
谷川俊太郎の「恋」は
特別な誰かを思いながら、
いつもその視線の先には
通常の恋愛とはまた違う
形而上学的な感覚を
感じてしまう。
恋は小さな愛だ。
その小ささが大事らしい。
私も、恋は大事だと思う。
世界平和のためには、
全人類が恋をすべきだと思う。
いや、そんな大袈裟な話に
しなくてもいいか(笑)。
自分一人の話に限ったって、
いつも誰かを恋していたいな。
それで、少なくとも
自分の人生は、意味が出る。
人生の無意味化は回避される。
恋に夢中な間は、
人生の意味を問いかけたりしない。
そんな問いを馬鹿らしくしてくれる。
虚無地獄から救ってくれる。
それが恋だ。
人はマルクス主義では
幸せになれるかどうかわからない。
ベストセラーを一冊書けても
幸せになれるかどうかわからない。
不老不死になったとしても
幸せになれるかどうかわからない。
それよりは恋だ、と思う。
恋をすることは推しを持つことと
似ているのかもしれない。
ずっと誰かを、何かを、
思い掛ける愛情行為は必ずや
人を幸せにしてくれる。
思い掛ける人を
束縛してしまうとか、
妬んでしまうとか、
欲望によって肉体関係を持つとか、
そんな具体的な次元になると、
もう、谷川俊太郎さんでは
なくなってしまう気がする。
ベチョベチョした欲望になる。
そうなると、形而上学的な恋は
形而下学的な欲望になり下がる。
「恋だ。
人間、最後は恋だけが
人生の苦しみから救ってくれる。」
と、昔、あるマンガに書いてあった。
その原作者に私は会いにいったら、
いつも形而上学的な恋の話に
なるのが常だった。
私は普段もよく恋バナをします。
そのことではよく冷やかされる。
笑われてしまう。
55のおじさんたちは
大抵は、スポーツやギャンブルや
ウンチクやビジネス話をする。
55才の私の周囲には、
恋の重要性に共感してくれる人などは
めったにいない。
それでも、恋は不滅だ。永遠だ。
ビジネスの利益やら
スマートさの追求やら、
人間関係の話やら、
生きることには面倒はつきものだけど、
形而上学的な恋は人を、
美しくピュアな感情にしてくれる。
谷川俊太郎さんは
私たちにそんなことを
教えてくれていたんじゃないか?
谷川俊太郎はそうなんだ、
恋の効用を自然体で教えてくれた、
恋の先生だったのだ。きっと。