見出し画像

母75才の誕生日…ファミリーヒストリーを考える?

母が75歳を無事に迎えた。

75年かあ?
まだ、私にはなんだか
イメージが掴めない時間の長さ。

うーん、では、調べてみるか。
何年生まれだろう?
2019マイナス75は……!

うわ、戦前だ!
1944年、昭和19年生まれ…!
敗戦の一年前だ!

どんな年だったんだろう?
ネットで「1944年」「出来事」で
調べてみる。

戦況は、
日本が海でも大陸でも劣勢続き。
アメリカ軍がサイパンや沖縄に、
猛攻していたらしい。

日本国内も劣勢一方で、
戦争を推し進めた、東条英機内閣が
解散したとある。

日本人全体も、うっすら、
この戦争は負けると感じ始め、
それでも大本営発表は
真実を伝えなかった時期ですね。

そんな時期に、
よく生まれたなあ、母ちゃんは!

はて…。
母の親(私の祖父)は、その頃、
軍隊にいたはず。
祖母は和歌山の田舎で農家をしてたはず。

時折り、内地にいた祖父を
部隊見舞いしたと祖母は話してたなあ。

家族で軍隊を見舞う、習わしは、
確かに祖母からよく聞きました。

祖父が内地に戻ったと報せが届いたら、
祖母は女一人、子供を連れ、
おはぎを沢山作って、
遠い軍隊駐屯地に出向いたそうです。

それより、母の子供時代だ。

敗戦後の食糧難や、
連合国による占領時代が
幼少時代だったのかあ。

物心がつく頃、1950年代は
占領軍が1952年に日本から引き揚げ、
日本は不安な時代ながら独立してく…。

母も、アメリカの
チョコレートを食べたろうか。
腹が減ったろうな。
だから、ゴンパチやらヨモギやら
野草や山草に詳しいのかあ。

よくまあそんな、
大変な時代を生き抜いて、
私を産んでくれたものですね(笑)。

今まで、母の誕生日に、
母の歩んだ人生について
考えたりしなかったけど、
ちょっと調べたり、
思いを馳せるととても面白いですね。

NHK『ファミリーヒストリー』が
人気なのもよくわかります。

いいなと思ったら応援しよう!