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【レトロ】昭和文学はどこへ行く?
舟橋聖一、丹羽文雄、室生犀星、
佐藤春夫、高見順、、、
父親の本棚を見ていたら、
こんな作家の古い本が並んでいた。
これら昭和の作家たちは
自身が生きていた頃は
きっと人気もあって、
たくさんの人に読まれたはず。
ただ、私の人生では
あまり重なる時期がなかったから
読まないままになった、、、。
いやあ、久しぶりに見ましたよ、
「高見順」とか「丹羽文雄」の文字を。
きっと読めば面白いんでしょうね。
なのに、ついつい読まず嫌いで、
これまできてしまいました。
さすがに、もう今から
読もうとはならないですね(汗)。
父親が読んでいたんですから
大昔の明治や大正という訳ではなく
昭和の戦前や戦後に流行した人たち。
誰か、回りの人、
例えば中学のサークルの先輩たちに
オススメされていたら、
読んだかもしれませんね。
そういえば、
中学一年の時、
軟式テニス部の先輩がいて、
一人練習もサボって
井上ひさしの『吉里吉里人』という
とんでもなく分厚いユーモア本を
コート脇で読んでいた時、
それがえらく面白そうだった。
翌日、学校の図書館に行った
記憶がまだ鮮明にあります。
井上ひさしの作品なら、
(もう数年前に他界されましたが)
まだまだ「現役」と言えるかな、
それとも古びてきたかしら。
そんなこんなを思うと、
新潮文庫に入っているかどうかが
他界作家の作品の寿命とも言えそう。
でもそれはそれで
アンフェアな気がしてならない。
他界作家でどんどん忘れられる人は
なんだか可哀想だなあ。
でも、そうやって、
昭和文学はどんどん読まれなくなる。
読まれなくなってくんでしょう。
椎名麟三も、
石川淳も、
小島信夫も
庄野潤三も、
梅崎春夫も、
吉行淳之介も、
安岡章太郎も。
三島由紀夫や安部公房や遠藤周作ら
カリスマ的な純文学作家は
どうも特別な枠に入っているらしくて、
何十年も読まれ続けるけど、
そうでない作家たちは、
文学作品としてどうなるのだろう?
時の流れに身を任せるしか
ないのでしょうか?
ああ、もったいないなあ。
でも、レトロなものや町や映画が
好きな人がいるように、
レトロな昭和文学を好きな人がいる、
レトロ文学好きがいてもいい、
ただそれだけのことなのかもしれない。
たまにはレトロな昭和味を食べるのも、
悪くはないですよね。
その昭和文学の良さを多少なりとも
広げるお手伝いをできないかしら。
そうだ、これから、時折り、
このnoteで、ちょこちょこ
私の好きな戦後文学を
レトロ文学礼賛風に紹介して
みようかしら。
まずはそれを今年の目標にしようか。
ああ、そうしよう。
やった、やりました。
やっとnoteでの明確な目標が
見つかりました。