小説に未来があるならば?
一般書籍の売上の割合は、
9割が、自己啓発やビジネス書や
パソコンなどの解説書。
目に見えて役に立つ実用書です。
残り1割が小説、エッセイなど、
文学ジャンル。
明日のプレゼンにすぐには役に立たない
〈弱さ〉が小説の弱さ…。
理由は何でしょうか?
文芸の棚の前に立ち、本たちを眺める。
それぞれ、粗筋やキャッチコピーが
カバーやオビに書いてあるけれど、
自分はこれを読んだら
どうなるか、何を獲られるか、
どうも曖昧模糊としています。
売りを明確にしたビジネス書なら、
何が貰えるかハッキリわかるのに…。
これでは、小説の部数は減る一方。
よほどの人気作家や
話題の凄い小説しか
売れない時代になりました。
ゲームやアニメやユーチューブは、
向こうから五感を刺激してくる。
こちらは受け身で楽に楽しめる。
でも、小説は読者が自分から想像し、
人物や場面や世界観を、
クリエイトしていく必要がある。
本読みには、それが醍醐味ですが、
本の虫に絶賛される本は、
部数はせいぜい5千部が精一杯。
もう1つ、小説ジャンルを
停滞させてる原因があります。
文章語や文体が遥か昔から変わりなく、
変化していないのです。
明治半ば~大正時代、
正岡子規や夏目漱石らにより、
言文一致体ができあがり、
もう100年以上が立ちますね。
社会も価値観もこんなに変わったというのに、
文章や文体はずっと
明治半ばからあまり変わらないままで…。
明らかに今の文章語は停滞し、
言葉自体、魅力が褪せています…。
漢学の素養があった漱石や正岡子規、
また、昭和なら、
フランス語を基にした大江健三郎や
英語に精通した村上春樹らは、
少しずつ外国の文化に影響を受けて、
小説のための文章語を耕してきました。
そろそろ、また、 文体一新のため、
言葉が刺激を求められている…
そんな気がしてなりません。